日々の言い分294

まず、私の食生活を書く。


一日、二度の食事をする。

朝と、夕である。

夕は、早ければ、四時ころになる。


すると、寝る前に、少し腹が空く。

そのため、少しばかり、何かを食べる。

寝る前に、食べ物は、食べるなと言われるが・・・


さて、私は、栄養、健康についても、多くの本を読む。

好きだから、楽しいから。

生きるのは、食べるためである。


生きるために、食べるのではない。

人間は、生きるために食べる程、上等な存在ではない。


そこで、色々な意見と、見解が現れる。

中でも、権威ある人たち、医者、学者等々が、書く。


肥満は、大敵である。

ご飯を減らせ。

炭水化物を取るなという、驚きまで。


兎に角、この人たちは、人間は、生きるために、食べると、考えている。

勿論、生き続けて欲しい人もいるが・・・

大半は、別に、十年早く死のうが、遅く死のうが、関係ない存在である。


私も、どうでもいい、存在である。


私は、外食は、基本的にしない。

特に、厨房が見えなければ、食欲が湧かない程だ。


安いから、云々という場合は、中国産を疑う。

中国産は、毒である。


毒物を、好き好んで、食べる程の趣味はない。


高血圧に注意して、塩分を控え目にと言われるが・・・


私にしてみれば、高血圧で、脳梗塞などで、パッと死ぬなんて、何と素晴らしいことかと、思う。


そんなにしてまで、生きたいのか・・・との疑問である。


また、そんなにして、生き続けたいと言う、あさましい根性を笑う。


食べたい物を食べて、死ぬならば、本望だろう。

が、違う、らしい。


ラーメンという、毒物を私も、一時期、食べていたが、今は、全く食べたくない。食べたい時は、自分で作る。

私は、食べたい物は、すべて自分で作るのである。


好きなものは、豆腐、納豆、魚である。

肉は、月に数回程度。

そして、漬物は、ぬか漬けを漬けている。


売り物の、漬物は、矢張り、毒物なのである。

勿論、時々、食べる。

出来れば、昔ながらの、漬け方のものである。


清涼飲料水は、飲まない。あれも、毒物である。

健康に、気を遣うのではない。

嫌だから、飲まない。


口にして、嫌なものは、二度、口にしない。


自分を信じているからである。


ご飯を食べて、何が悪い。

炭水化物を取って何が悪い。


ご飯一膳は、各砂糖18個分などというのを、見ると、笑う。

糖尿病を怖れているのか・・・


これらは、常に、死の恐怖を煽るのである。

しかし、死ぬことを、良しとする私には、どうでもいいことなのだ。


更に、病気、成人病にならぬようにと、ご丁寧である。


2500前も前に、人生は、生老病死と、仏陀は、見つけたのである。


人生とは、それ以外の、何物でもないと。


生まれたら、老いて、病気になり、死ぬ。

ただ、そけだけのこと。


日本人の平均寿命が、伸びているというが・・・

あれは、嘘。

管で生きている、人間もどきの、人たちの寿命も入れている。


管になっても、生きるという、妄執は、余りある。

更に、それでも、生かすと言う、根性である。

呆れる。


皆々、病院の儲けに、貢献している。

更に呆れるのは、国の財産を使うのである。


死ぬべき時に、死なないとは・・・


つまり、食生活は、死なずに、長生きするために、ある。

実に、矛盾している。


確実に、人間は死ぬ。

それを無視して、栄養学など、あり得ない。


別エッセイに、生きるに意味などない、を書いている。

是非、参照ください。


生きる意味とは、妄想以外の何物でもない。


生まれた瞬間から、死ぬことに向かって生きているのが、人間であり、真実は、そこだけにある。


食べたい物を、食べて、さっさと、死ぬべし。

これが、私の結論である。


ちなみに、毒物は、私の口に合わないから、食べないのである。