もののあわれについて936

わりなくておはしましては、程なくかへり給ふが、あかず苦しきに、宮も物をいみじく思したり。御心のうちを知り給はねば、女方には、「またいかならむ。人わらへにや」と思ひ歎き給へば、げに心づくしに苦しげなるわざかな、と見ゆ。京にも、かくろへて渡り給ふべき所も、さすがになし。六条の院には、左のおほいとの、片つ方に住み給ひて、さばかりいかでと思したる六の君の御事を、思し寄らぬに、「なま恨めし」と思ひきこえ給ふべかめり。「すきずきしき御さま」と許しなくそしり聞こえ給ひて、内わたりにもうれへ聞こえ給ふべかめれば、いよいよ、おぼえなくていだしすえ給はむも、はばかる事いと多かり。なべてに思す人のさはは、宮づかへの筋にて、なかなか心やすげなり。さやうの並々には思されず、もし世の中うつりて、みかどきさいの思しおきつるままにもおはしまさば、人より高きさまにこそなさめ、など、ただ今はいと花やかに、心にかかり給へるままに、もてなさむ方なく、苦しかりけり。





無理をして、お越しになっては、ゆっくりともせず、お帰りになるのが、物足りなく、辛いので、宮も、酷く悩んでいた。お心のうちを、ご存じないので、女の方は、改めて、どうなるのだろう。物笑いになるのかと、思い、嘆いておられるので、全く、気の揉める、気の毒な話と、思える。

京にも、こっそりと、お移りになるような家も、広い京ながら、ないのである。六条の院には、左大臣が、一画にお住まいになり、あれほど何とかしてと、考えていた、六の君の御事を、気にもかけないので、何やら、恨めしいと、思うのである。

浮気心の戯れと、容赦なく、非難されて、宮中にも、訴えていらっしゃるので、益々、世間に知られたくない人を、迎え入れるのも、憚られることが多い。いい加減な思いの身分の女は、宮仕えに出て来て、かえって、気楽だ。

そういう者とは、一緒には、考えられないので、もし、御代が代わり、両陛下が、予定通りにでも、おなり遊ばせば、他の女より、高い位に就けてやろう、などと思うが、今のところは、華やかに、心にかけていらっしゃる通りに、差し上げようとしても、方法が無いので、辛いことなのであった。


匂宮は、中の宮を、京へと移そうとしているのである。





中納言は、三条の宮つくりはてて、さるべきさまにて渡し奉らむ、と思す。薫「げにただ人は心やすかりけり。かくいと心ぐるしき御けしきながら、安からずしのび給ふからに、かたみに思ひなやみ給ふべかめるも、心ぐるしくて、忍びてかく通ひ給ふよしを中宮などにももらし聞こしめさせて、しばしの御さわがれはいとほしくとも、女がたの御ためはとがめもあらじ。いとかく夜をだに明かしはて給はぬ苦しげさよ。いみじくもてなしてあらせ奉らばや」など思ひて、あながちにも隠ろへず。





中納言、薫は、三条の宮を完成して、相応な迎え方で、お移し申そうと、思いになる。

本当に、臣下の身は、気楽なもの。このようには、とても、気の毒な様子で、気を使い、人目を忍んで、お互いに、気に病んでいらっしゃるようなことも、気の毒で、こっそり、通いなさっていることを、中宮などの、お耳にも、お入れ申して、しばらく、お騒がせになるのは、気の毒だが、女の側の、御為になることは、落ち度にはならないだろう。おちおち、夜も明かせないとは、苦しそうだ。うまく計らって差し上げたいもの。などと思い、強いて、隠しもしないのである。






ころもがへなど、はかばかしく誰かはあつかふらむ、など思して、御帳の帷子、壁代など、三条の宮つくりはてて、渡り給はむ心まうけに、しおかせ給へるを、薫「まづさるべき用なむ」など、いとしのびて聞こえ給ひて、奉れ給ふ。さまざまなる女房の装束、御乳母などにも宣ひつつ、わざともせさせ給ひけり。





衣更えなど、かいがいしく誰がお世話しよう、などと思い、御帳台の帷子や、壁代など、三条の宮が完成して、お引越しなさる準備に、用意させていらっしゃることを、薫は、差し当っての用がありまして、などと、こっそり、申し上げて、差し上げる。

あれやこれの、女房の衣装を、御乳母などにもお話しして、わざわざ作らせたもした。





十月一日ごろ、薫「網代もをかしき程ならむ」と、そそのかし聞こえ給ひて、もみぢ御覧ずべく申し給ふ。したしき宮人ども、殿上人のむつまじく思す限り、いとしのびて、と思せど、所せき御いきほひなれば、おのづから事ひろごりて、左のおほいとのの宰相の中将参り給ふ。さてはこの中納言殿ばかりぞ、上達部は仕うまつり給ふ。ただ人は多かり。





十月上旬、薫は、網代も、面白い時分でしょう。と、お勧めして、紅葉狩りの計画など、立てて差し上げる。内輪の宮家の人たち、殿上人の、親しく思う人たちだけで、こっそりと、と考えたが、大した御威勢なので、ひとりでに計画が漏れ広がり、左大臣の公達の、宰相の中将も、御供になる。それ以外では、中納言の殿様だけが、上達部では、お仕え申し上げる。公卿以下の人たちは、大勢である。


左のおほいとの、左大臣とは、夕霧で、宰相の中将とは、夕霧の、六男との説がある。