もののあわれについて937

かしこには、薫「論なく中宿し給はむを、さるべきさまに思せ。さきの春も、花見に尋ね参りこしこれかれ、かかるたよりにことよせて、しぐれの紛れに見奉りあらはすやうもぞ侍る」など、こまやかに聞こえ給へり。御簾かけかへ、ここかしこかき払ひ、岩がくれにつもれる紅葉の朽葉すこしはるけ、鑓水の水草はらはせなどぞし給ふ。よしあるくだもの、さかななど、さるべき人なれども奉れ給へり。かつはゆかしげなけれど、いかがはせむ。これもさるべきにこそは、と思ひ許して、心まうけし給へり。





あちらには、薫が、勿論、中休みされるだろうから、そのおつもりで、いらっしゃい。先年の春にも、花見に尋ねて参った、誰れ彼が、こういうついでに、ことよせて、時雨の雨宿りに紛れて、何もかも、拝見することもあります。など、細々と、申し上げた。

御簾を掛け替え、あちらこちらを掃除し、岩の陰に積もる紅葉の枯れ葉を、少し取り除けて、鑓水の水草を、捨てさせさせるなどされる。京からは、見事なお菓子や、ご馳走など、しかるべき、手伝いの人なども、差し上げる。厚かましいとは思うものの、何としよう、これも、こうなる約束ごとなのだろうと、そういう気になり、心づもりをされる。





船にてのぼりくだり、おもしろく遊ぶ給ふも聞こゆ。ほのぼのありさま見ゆるを、そなたに立ちいでて、若き人々見奉る。さうじみの御ありさまはそれと見わかねども、もみぢをふきたる船のかざりの、錦と見ゆるに、声々吹きいづる物のねども、風につきておどろおどろしきまで覚ゆ。世人のなびきかしづき奉るさま、かくしのび給へる道にも、いとことにいつくしきを見給ふにも、げにたなばたばかりにても、かかるひこぼしの光をこそ待ちいでめ、と覚えたり。





船で上り下りして、面白く合奏されるのも、聞こえる。ちらほらと姿が見えるのを、そちら側に出て立ち、若い女房たちが拝見する。

ご本人のお姿は、それと見分けがつかないが、紅葉を葺いた船の飾りが、錦かと見えて、色々吹きたてる楽器の音が、風に乗り、何と賑やかだろうと思う。世の人、我先にと、ご奉仕する有様、このように、ご微行でも、特別に堂々としているのを、御覧になると、本当に、七夕程度でも、こういう素晴らしい、彦星をこそ、待ち受けたいもの、と思われる。





ふみ作らせ給ふべき心まうけに、はかせなども候ひけり。たそがれ時に、御船さし寄せて遊びつつ、文つくり給ふ。もみぢを薄く濃くかざして、海仙楽といふものを吹きて、おのおの心ゆきたるけしきなるに、宮は、「あふみのうみ」のここちして、をちかた人のうらみいかにとのみ、御心そらなり。時につけたる題いだして、うそぶき誦しあへり。





漢詩をお作りさせるべく、博士なども、候していた。黄昏時に、お舟を漕ぎよせて、音楽を奏しつつ、漢詩をお作りになる。

紅葉を薄いのやら、濃いのやらを冠にさして、海仙楽という曲を吹いて、めいめいが、満足気な様子なのに、宮は、近江の海、で、海藻がない、見られないという気がして、向こう岸の人の恨みは、どんなものかと、心も上の空だ。季節に合った題を出して、小声で、一同吟じている。





「人のまよひすこししづめておはせむ」と、中納言も思して、さるべきやうに聞こえ給ふほどに、内より、中宮の仰せ言にて、宰相の御あにの衛門の督、ことごとしき随身ひきつれて、うるはしきさまして参り給へり。かうやうの御ありきは、しのび給ふとすれど、おのづから事ひろごりて、のちのためしにもなるわざなるを、おもおもしき人数あまたもなくて、にはかにおはしましにけるを、きこしめしおどろきて、殿上人あまた具して参りたるに、はしたなくなりぬ。宮も中納言も、「苦し」と思して、物の興もなくなりぬ。御心のうちをば知らず、酔ひみだれ、遊びあかしつ。





皆の、ざわめきが、少し静まってから、お出でになれば、と中納言も思い、そういうことを、言上げされていたところ、御所から、宰相の兄君の衛門の督が、大げさに、随身を引き連れて、参上された。

このような御遠出は、お忍びになっても、ひとりでに、噂が広まり、後世の例にもなるものなのに、重臣の人数は、多くもなく、俄かにおいで遊ばしたのを、お耳に遊ばし、驚いて、殿上人を沢山従えて参上したので、具合が悪くなってしまった。宮も、中納言の薫も、たまらない、と思いで、何の興味もなくなった。胸の内を知らず、酔って騒いで、一夜を音楽に、明かしたのである。


宰相の兄君の衛門の督、とは、夕霧の長男との、説あり。