もののあわれについて938

「今日はかくて」と思すに、また、宮の大夫、さらぬ殿上人など、あまた奉れ給へり。心あわただしく、くちおしくて、帰り給はむそらなし。かしこには御文をぞ奉れ給ふ。をかしやかなる事もなく、いとまめだちて、思しける事どもをこまごまと書き続け給へれど、「人目しげく騒がしからむらに」とて、御かへりなし。「数ならぬありさまにては、めでたき御あたりにまじらはむ、かひなきわざかな」と、いとどおぼし知り給ふ。よそにてへだてたる月日は、おぼつかなさもことわりに、さりともなど慰め給ふを、近き程にののしりおはして、つれなく過ぎ給ふなむ、つらくもくちをしくも思ひみだれ給ふ。





今日は、このまま、と思いになるのに、別に、中宮の大夫や、その他の殿上人など、大勢を差し上げになった。

いらいらして、悔しくて、お帰りになる気もない。あちらにお手紙を差し上げる。風流めいたことも書かず、とてもまじめに、胸にあることを、ありのままに、細々と書き連ねになったが、人目が多く、騒がしいだろうと、お返事はない。取るに足りない有様では、ご立派なお方と、お付き合いするのは、到底、無理なはずだしと、一層、よくお分かりになる。離れていて、会わないまま、月日の経つのは、心配であり、それも当たり前の事で、何と言っても、気を慰めるのだが、すぐ近くに、大騒ぎして、お越しになって、何も無く、お通り過ぎるのが、酷いとも、悔しいとも思い、お悩みになる。





宮はまして、「いぶせくわりなし」と思すこと限りなし。網代の氷魚も心よせ奉りて、いろいろ木の葉にかきまぜもてあそぶを、下人などはいとかしき事に思へれば、人二従ひつつ、心ゆく御ありきに、みづからの御ここちは、胸のみつとふたがりて、空をのみながめ給ふに、この古宮のこずえは、いとことにおもしろく、ときに木に這ひまじれる蔦の色なども、物ふかげに見えて、とほ目さへすごげなるを、中納言の君も、なかなかたのめ聞こえけるを、うれはしきわざかな、と覚ゆ。





宮は、尚更、憂鬱でやるせないと、思いになることはないといったら、大変なものである。網代の氷魚も、ごひいき申し上げて、色とりどりの木の葉に乗せて、楽しんで、下人などは、とても面白いことに思い、人それぞれに応じて、皆、満足している御遠出に、ご本人の、お気持ちといえば、気ばかりむやみにふさいで、空ばかりお眺めになると、この古い宮家の梢は、格別に見事で、常緑樹に絡まる、蔦の色なども、何やら、深みがあり、遠目にさえ凄いことなのを、中納言の君も、なまじに、お約束してしまい、辛いことになったと、思うのである。





こぞの春御供なりし君たちは、花の色を思ひいでて、おくれてここにながめ給ふらむ心細さをいふ。かく忍び忍びにかよひ給ふ、と、ほの聞きたるもあるべし。心知らぬもまじりて、大方に、とやかくと、人の御うへは、かかる山がくれなれど、おのづから聞こゆるものなれば、「いとをかしげにこそものし給ふなれ。筝の琴じやうずにて、故宮の明け暮れ遊びならはし給ひければ」など、口々いふ。宰相の中将、


いつぞやも 花のさかりに ひとめ見し 木の本さへや 秋はさびしき


あるじ方と思ひていへば、中納言、


桜こそ 思ひ知らすれ 咲きにほふ 花ももみぢも 常ならぬ世を


衛門の督、


いづこより あきはゆきけむ 山里の 紅葉のかげは 過ぎうきものを


宮の大夫、

見し人も なき山里の いはがきに 心ながくも 這へるくずかな


なかに老いしらひて、うち泣き給ふ。みこの若くおはしける世の事など、思ひいづるなめり。宮、


匂宮

秋はてて 寂しさまさる 木のもとを 吹きなすぐしそ 峰の松風


とて、いといたく涙ぐみ給へるを、ほのかに知る人は、「げに深く思すなりけり。けふのたよりを過ぐし給ふ心ぐるしさ」と見奉る人あれど、ことごとしく引き続きて、えおはしまし寄らず。





昨年の春、御供だった、若殿方は、花の美しさを思い出して、後に残り、ここで寂しく暮らしていた心細さを語る。

このように、人目を避けつつ、通いになさると、小耳にはさんでいる者もいるだろう。事情を知らない者もまたいて、普通に、ああだ、こうだと、人のうわさは、このような山影だが、ひとりでに伝わるもの。とても素晴らしくていらっしゃるということだ。筝の琴の名手で、亡き宮が、朝夕に演奏させて、いらっしゃった。などと、口々に言う。宰相の君は、


いつだったのか、桜の花盛にも、一目見ました、あの木のもとまで、秋は寂しいことでしょう。


主人側というので、中納言、


桜が、悟らせてくれます。咲き誇る花であれ、紅葉であれ、同じく世は、無常なのだということ。


衛門の督、


どこから、秋は去って行ってしまったのか。山里の紅葉の蔭は、立ち去りにくいことなのに。


宮の大夫、


お目にかかったことのある、宮様も、今はいない山里の、岩垣に、気の長いことに、今も這っている蔦だ。


中で、年老いていて、お泣きになる。親王が、若くしていらしたとのことなど、思い出してのものらしい。宮、


匂宮


秋が終わって、寂しさのまさる木の下を、吹き抜けてくれるな、峰の松風。


と、酷く涙ぐんでいらっしゃるのを、薄々知る人は、本当に深く愛していらっしゃるのだと、今日のせっかくのついでを、逃されるいたわしさ、と拝する人もいるが、大げさに、ずらりと従えてでは、お立ち寄りなさることなど、出来ないのである。






作りける文の、おもしろき所々うち誦し、やままと歌もことにつけて多かれど、かうようの酔ひの紛れに、ましてはかばかしき事あらむやは。かたはし書きとどめてだに、見苦しくなむ。





作った漢詩の、面白い部分を、いくつか口ずさみ、和歌も何かと、多かったが、こういう酔いの騒ぎゆえ、ましてや、良い作のあろうはずもない。一部分書きとどめてさえ、見苦しく。


最後は、作者の言い分である。