もののあわれについて939

かしこには、過ぎ給ひぬるけはひを、遠くなるまで聞こゆるさきの声々、ただならず覚え給ふ。心まうけしつる人々も、いとくちおしと思へり。姫宮はまして、「なほおとに聞く月草の色なる御心なりけり。ほのかに人のいふを聞けば、男といふものは、そらごとをこそいとよくすなれ。思はぬ人を思ふ顔にとりなす言の葉多かるものと、この人数ならぬ女ばらの、昔物語に言ふを、さるなほなほしきなかにこそは、けしからぬ心あるもまじるらめ。なにごとも筋ことなるきはになりぬれば、人の聞き思ふことつつましく、所せかるべきものと思ひしは、さしもあるまじきわざなりけり。あだめき給へるやうに、故宮も聞き給ひて、かやうに気近き程までは、思し寄らざりしものを、あやしきまで、心深げに宣ひわたり、思ひのほかに見奉るにつけてさへ、身の憂さを思ひ添ふるがあぢきなくもあるかな。かく見おとりする御心を、かつはかの中納言も、いかに思ひ給ふらむ。ここにもことに恥づかしげなる人はうちまじらねど、おのおの思ふらむが、人わらへにをこがましきこと」と思ひみだれ給ふに、ここちもたがひて、いと悩ましく覚え給ふ。





姫宮のところでは、お通り過ぎになった気配を、遠くなるまで、聞こえる先払いの声々で、穏やかならず、考えるのである。

心づもりをしていた女房たちも、とても残念に思う。姫宮は、尚の事。

矢張り、評判に聞く、月草のような、移り気なお方なのだと。ちらちら、女房の言うことを聞くと、男というものは、嘘をよくつくのだそうだ。思ってもいない女を、さも思っている顔で、騙す言葉も多いという。ここの、取るに足りない女たちが、昔話に、喋るのを、そういうつまらない者たちの間では、とんでもない心を持つ者も、混じっていようが、何事でも、生まれの違う身分になると、人の聞こえや、思惑が憚られ、いい加減なことは、出来ないはずと、思っていたのは、そうとも限らないことだった。

浮気っぽくて、いらっしゃるように、亡き父宮も、お耳になさり、このように、家にお入れするとまでは、考えていらっしゃらなかったものを、不思議なほどに、情を込めて、熱心におっしゃり、思いがけず、お見上げするにつけて、また、心配事の増えたのが、つまらないこと。こんな期待ほどではない、お心を、またあの中納言も、何と思うのだろうか。私が、特に気にする人はいないが、めいめい、どう思うか、それも、物笑いの種になるだろう。馬鹿げたことと、ご心配になると、気分も悪く、とても、苦しくなる。





さうじみは、たまさかに対面し給ふ時、かぎりなく深きことを頼め契り給へれば、「さりともこよなうは思し変はらじ」と、おぼつかなきも、「わりなきさはりこそは物し給ふらめ」と心のうちに思ひなぐさめ給ふ方あり。ほどへにけるが思ひいられ給はぬにしもあらぬに、なかなかにて打ち過ぎ給ひぬるを、つらくも口惜しくも思ほゆるに、いとどものあはれなり。しのびがたき御けしきなるを、「人なみなみにもてなして、例の人めきたる住まひならば、かうようにもてなし給ふまじきを」など、姉宮はいとどしくあはれと見奉り給ふ。





ご本人は、時たまに、対面される時、この上なく、深い愛情をお約束して下さるので、いくら何でも、酷いことを、お心変わりになることはない、と、お越しのないのも、どうしようもない御用があるのだろうと、心の中で一人慰めて、いらっしゃる訳がある。

間の空くのが、気になさらないでもないところだが、思わせぶりで通り過ぎることもあり、情けないとも、残念とも思われて、切なさ、あはれさが、まさるのである。

抑えきれないご様子を、人並みにしてあげて、普通の一人前の住まいだったら、このような扱いは、なさるまいものを、など、姉宮は、いっそう、酷く可愛そうにと、見上げるのである。





「われも世にながらへば、かうやうなる事見つべきにこそはあめれ。中納言の、とざまかうざまに言ひありき給ふも、人の心を見むとなりけり。心ひとつにもて離れて思ふとも、こしらへやる限りこそあれ。ある人のこりずまに、かかる筋のことをのみ、いかで、と思ひためれば、心よりほかに、つひにもてなされぬべかめり。これこそは、かへすがへす、さる心して世を過ぐせ、と宣ひおきしは、かかる事もやあらむのいさめなりけり。さもこそは憂き身どもにて、さるべき人にもおくれ奉らめ。やうのものと人笑へなる事を添ふるありさまにて、なき御かげをさへ悩まし奉らむがいみじさ。なほ我だにさるもの思ひにしづまず、罪などいと深からぬさきに、いかでなくなりなむ」と思し沈むに、ここちもまことに苦しければ、物もつゆばかり参らず。ただなからむのちのあらましごとを、明け暮れ思ひ続け給ふに、もの心細くて、この君を見奉り給ふもいと心ぐるしく、「我にさへおくれ給ひて、いかにいみじく慰むかたなからむ。あたらしくをかしきさまを、あけくれの見ものにて、いかで人々しくも見なし奉らむ、と、思ひ扱ふをこそ、人知れぬ行くさきのたのみにも思ひつれ。かぎりなき人にもものし給ふとも、かばかり人笑へなる目を見てむ人の、世の中に立ちまじり、例の人ざまにて経給はむは、たぐひ少なく心うからむ」など思し続くるに、いふかひもなく、「この世にはいささか思ひ慰むかたなくて過ぎぬべき身どもなりけり」と心細く思す。





私も、生きながらえたら、このような目に、きっと見るに違いにない。中納言が、あれこれと、持ちかけるのも、私の気を引こうとしているのだ。私一人が、一緒になるまいと思っても、逃げるにも限界がある。ここにいる、女房が、凝りもせずに、この縁組ばかり、何とかしようと思っているらしい。望まないのに、結局、そのようにされてしまいそうだ。

このことだったのか。繰り返し、繰り返し、その気になって、一生を送れと、ご遺言されたのは、こういうこともあろうかとの、教えだったのだ。こんなに不幸な二人ゆえ、結婚した相手にも先立たれることもあろう。二人が二人ともに、物笑いを重ねる有様で、亡くなったお方までも、苦しめる申し訳なさ。やはり、私だけでも、そんな物思いに沈まず、罪など重ねないうちに、何とか死んでしまいたい。と、思い積めるので、気分も、本当に苦しくなり、食べ物も少しも、召しあがらない。

ひたすら、死んだ後の、あれこれを、朝に夕に、考え続けていると、何やら、心細くなり、この君を見上げるのも、とても労しく、私にまで先立たれて、どんなにひどく、滅入るだろう。勿体なく、美しい姿を、朝夕の慰めにして、何とか、一人前にして差し上げたい、とお世話するのだけを、誰にも言わず、これからの、生き甲斐にも思っていたのに。

この上なく、貴い方でいらしても、これほど、物笑いな目に遭った女が、世間に出て、普通の人並みに暮らせるのは、例も少なくて、辛いことだろう。などと、考え続けていられると、精も根も尽き果てて、この世には、ほんのわずかな楽しいこともなしに、終わってしまう二人の身の上なのだ。と、心細く思いになる。