かつて旅行者のあいだで“カルカッタのサダルストリートを見る前と、見た後では人生が変わる”といわれた時代があったらしい。南パタヤのウォーキング・ストリートも、同じ類の路地であろう。
午後1時、昼下がりのウォーキング・ストリート。わたしはココナツ・アイスを舌でころがしつつ、通りを眺めている。雄大なパタヤ湾が後ろに控える。かつて小さな漁村に過ぎなかったパタヤの面影がかい間見える瞬間だ。
ムスリムの若い女性が、スカーフを頭に巻き、てんびん棒でバナナや、お菓子を売って歩く。開店前のゴーゴー・バーから、ママサンが出てきて、バナナを買う。夕暮れに出勤するゴーゴー嬢が、いつでもつまめるように、用意しておく。
ごくゆっくりしていて、けだるい。宵の口から日の出にかけて、狂乱の宴がぶっとおしで続く通りとは思えない。潮風が心地よい。
ウォーキング・ストリートの裏手に、わたしの常宿としているゲストハウスがある。スタッフとは顔なじみで、4年ぶりにいきなり現れたわたしを、かつてと変わらずもてなしてくれた。
わたしがその界隈で過ごすのは、大げさにいうと、生と死が濃密に交錯するのを、肌身に感じたいからだ。歌舞伎町と難波を足して濃縮還元し、ドラム缶のナンプラーをぶちまけたとでもいいたい魅力がある。
とけてしまったココナツ・アイスを脇によけ、昼日中の通りをぼんやりと見ている。興奮した白人の叫び声も、すすり泣く女の声も、何もきこえない通りを。ヤクルト配りの原付バイクが、間の抜けたモーター音を鳴らして通った。
やがて夜が来る。考えうる限り、もっとも卑俗な、愚にもつかない乱痴気騒ぎの夜が。もしも日本に、明治維新が来ず、終戦もなかったら、こうした場所がどこかにはありえたのかもしれない。
くさいものに蓋をするように、戦後の日本がかくし続けている、何かがここには露骨に立ち現れる。その何かに渇いて、わたしはまたこの界隈に戻ってきた。一寝入りして、夜を待つことにする。