4年ぶりのほほ笑み タイ旅日記 15


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(ウォーキング・ストリートの裏手で遅い朝食)


 タイ女性の愛は逆まく炎である。自らの身を焼き滅ぼし、相手をも類焼させる。とくに若い時分は。


 南パタヤのウォーキング・ストリートの裏手に、ヘンリー・アパートメントという小さなゲストハウスがある。経営者はスウェーデン人で、旅人をもてなす心にくい演出が各所に施されている。


 家族的な雰囲気は、タイ人スタッフにとっても働きやすい。この界隈に来た時は必ず泊まるのだけれど、辞めたひとを見たことがない。4年ぶりに訪れた今回も、スタッフはみんなわたしを覚えていてくれた。


 軒先に石のテーブルがあるので、夕暮れどきにわたしはよく書き物をする。仕事明けの女性たちが、イスに腰掛け、ビールを開けつつよもやま話をする。


 そこで思いついたのである、冒頭の一節を。女性スタッフの一人に、たいそうな働き者がいる。整った顔立ちで、ボクサーみたいに引きしまった、小柄な身体つきをしている。わたしとは、ずっと以前から顔見知りだ。その女性から、女友だちが首を絞められて殺された話をきいた。


 東北地方の大学に通っていた、その友だちは、長いあいだ付き合った男性がいた。ある時、男性は転勤となり、他の県に移り住む事になった。ほとんど会えなくなった。彼女は大学を卒業することになり、インターンシップ制度で、地元の企業に仮就職した。


 その職場で、彼女は別の男性と恋に落ちてしまった。それが彼女の人生を22才で終わらせる引き金となる。彼女の新しい愛は燃え盛り、とうとう古い男に絶縁を迫る事態となった。男は、転勤先からすっとんで来た。ホテルの一室で、口論になった。復縁をせまる男に、彼女は頑として首を縦にふらなかった。男はとうとう、激情で我を忘れてしまった。


 ちなみに怒り心頭に達したタイ人というのは、男女の別なく本当に怖い。後先の思考が吹きとび、何をするか分からない。ふだん温厚な分、そのギャップがなお恐ろしい。男は彼女の喉仏をわしづかみにし、「あいつと別れるか、それともこのまま窒息するか、どちらかを選べ」といった。


 彼女は、それでも復縁を拒んだ。男はじょじょに力を込め、別れろ、別れろと言いながら、そのまま片手で絞め殺してしまった。彼女は全く抵抗しなかったので、葬儀のとき、遺体はまるで生きているかのように綺麗だった。


「ほら、これが友だち」


 とスマートホンに残された、大学の制服姿の若い女性の画像を見せられた。モデルのように美しい身体をした、気の強そうな眼鏡美人であった。


「わたしも相談を受けてたの。何もしてあげられなかったのが残念でならない」とゲストハウスで働く女性は言った。「彼女に生きていて欲しかった、どうしたら彼女は助かったのと思う?」 とわたしにきいてくる。


 首をのど輪されても貫く愛。わたしは返すことばが無かった。


「あなたが彼女だったとしたら、どうしたと思う? 何か逃げる方法が無かったのかしら」


 わたしが彼女だったら…。ホテルの密室で殺されかけたなら。男に、新しい男と別れると嘘をつき、とりあえず気を鎮めさせる。それを信じこませるため、最後に最高の夜を男にプレゼントする。男が満足して寝ているあいだに、そっとホテルから脱走し、真に愛する男とその日のうちに遠くへ駆け落ちする。


 そんな程度の答えしか浮かばない。女性は、「それもいい考えねぇ」と真剣にきいていた。


 ウォーキング・ストリート界隈には、そんなこぼれ話があふれている。自分では想像もつかない、理性の境目を軽くとび越える体験談。それをきいているだけで、宵闇の時間はあっという間に過ぎていく。