日々の言い分299

仲間が餓死すると、近くの山に埋めにいく。穴を掘る体力などない。地面をかきむしって遺体を入れ、穴からはみでているところは土を乗せて薄くならした。それで終わり。

「なんと申し訳ないことを死者にしたのかと思う。思うけれど、その時はそれどころじゃないんですわ。遺体の処理をしながら、あ、俺はいつやろかと、そんなことを考えながらやっとるわけです。あすは自分の番や。だから堪忍してくれと心の中で手をあわせて、ほいでかえってきた」

 それまで上官から繰りかえし聞かされたのは「貴様ら、よく聞け。いったん戦地に行ったら階級の上下は関係なしに一緒に死ぬんやぞ」ということだった。

 嘘だった。

 戦後73年となる今も瀧本さんが声に怒気と殺気を込めて語るのは、やはりトラック諸島でのできごとだ。

 木の葉を海水で煮て食らうしかない日々。餓死していく下っぱ兵たちを尻目に、非常用の備蓄食糧に手を出して食べている上官たち。どうにも我慢ならなくて瀧本さんは分隊長に食糧の開放を願いでる。

「一発でことわられました」

「われわれ下っぱが草を食って命をつないでいるときに、士官どもは銀飯を食べとるんですよ。銀飯ですよ、銀飯。こっちは草くうとるんや」

 みずからにも餓死が迫りくる中、瀧本さんはこう考えるしかなかった。

「こんなね、南のね、ちっぽけな島で骨と皮になってね、のたれ死んでね、ヤシの木の肥やしになるだけなんて、こんな死にかたは納得できない」

「ここで死ぬことがなんで国のためか。こんなばかな話があるか。こんな死にかたがあるか。何が国のためじゃ。なんぼ戦争じゃいうても、こんな死にかたに得心できるか。敵と戦こうて死ぬならわかる。のたれ死にのどこが国のためか」


上記の書き込みを読み・・・


私が追悼慰霊を始めて、12年が過ぎる。

そのために、多くの戦記を読んだ。


上記の書き込みのような、話が沢山ある。


すると、結局、この戦争を始めた理由は、何かということになる。

別エッセイで、玉砕、を書いているので、参照ください。


確かに、当時の軍部は、奢っていた。

そして、統帥権の問題もあり、政治が、関与出来なかったことも、事実である。


だが、私は、今更、責任の所在を云々というものではない。


ただし、その検証は、必要である。

つまり、二度と、あのような、戦争をしないために。

しかし、それが、日本の防衛を考える上で、先の大戦を思い、云々となるのは、実におかしい。


今は、その時代性が違う。

現在の時代性と、時代精神で、考えるべきなのである。


そのために、過去の戦争の有様を、俯瞰する。

ところが・・・


ただ、先の戦争の批判ばかりが、先行して、ただ、批判、批難、そして、責任の所在を求めるばかりの、論説が多い。


何故か・・・

それは、アメリカ占領軍の、占領政策のままに、今も、続けられているからである。


マッカーサーが、蒔いた種が、実り、日本は、その日本としての、誇りを失う、更に、自国防衛の精神も、骨抜きにされたと、私は言う。


反省は、必要不可欠である。

その上に立ち、これからの、日本の防衛、つまり、戦争回避する方法を考えるのである。


その一つに、核兵器の保有がある。

だが、議論さえもされない。


核兵器を持って、戦争を始めるのではない。


平和を維持するために、核兵器を持つのである。


抑止力である。

しかし、この抑止力も、別な考え方で、否定される。

その、別な考え方とは、極端な左翼思想である。


一見して、平和主義と見えるが違う。

平和を放棄してしまった、有様である。


平和を口にしていれば、平和であるという、言霊信仰に冒されている。


言霊信仰などどは、左翼の人たちは、決して認めないが、明らかに、言霊信仰である。


本当の意味での、言霊については、別エッセイ、もののあわれについて、などに書いているが・・・参照ください。


もっと、分かり安く言えば、念仏のような平和主義である。

何の力もないものである。


さて、あの戦争では、日本兵が、230万人死んだ。

その大半が、餓死である。

戦闘で死んだ者より、餓死が多いという自体である。


その理由は、米軍が、日本の輸送船を沈めたからである。

日本軍は、米軍側の、民間船を沈めなかった。


日本の物資は、皆、海に沈んだのである。

だから、食料もなく、戦う弾もなくなった。


アメリカは、国際法違反の最たるものである。

アメリカは、日本の各都市への攻撃を行った。それも、国際法違反である。

勿論、原爆投下も、大虐殺であり、国際法違反である。


日本は、それに対して、アメリカに文句を言ったか・・・

占領政策で、すてべ沈黙させられた。


日本兵の餓死の犠牲の一つは、アメリカの戦争のあり方である。

つまり、ルールの無い戦いをした。


キリスト教白人は、国際法という、ルールを作るが、それは、白人だけに適応されるものだった。


今も、そのようである。

その底には、人種差別がある。

厳然として、今も、それが、あるのだ。


キリスト教白人の、植民地支配も、その根源には、人種差別の思想がある。

日本人は、その差別感を、未だに、知らない様子である。


日本の植民地支配の様と、それらを比べてみるといい。

全く別物である。


奪う支配と、与える支配の、違いである。