戦争直前の段階で、日本の近衛文麿総理大臣はアメリカの要求に対し、インドシナから撤退するだけではなく、中国からも数年間で少しずつ撤退するというアイディアを示して、ルーズベルト大統領との会談を提案した。場所はハワイでもアラスカでもアメリカが指定したところでよく、外務省だけではなく陸軍省と海軍省からも随員を連れて赴くとして、近衛総理は横浜港に海軍の駆逐艦を待機させた。
マックス
そうである。
日本は、無暗に開戦に進んだのではない。
決して、それは違う。
昭和天皇はじめ、戦争を回避するために、多くの人が、動いた。
一体、誰が、やみ雲に戦争に突入したというのか・・・
海軍も、反対で、特に、山本五十六は、反対だった。
更に、陸軍は、ロシアを敵国として、見ていたのである。
馬鹿者たちが、今でも、あの戦争に、無謀な戦争に突入し、その責任の所在を示していないということを言う。
私は、呆れる。
無謀な戦争に突入したのではなく、アメリカの強引な誘いが、戦争を誘引したのである。
日本が、戦争を開始したのではない。
アメリカが、開戦したのである。
この近衛総理の提案をルーズベルト大統領とハル国務長官が検討したが、スティムソンの後輩、スタンレー・ホーンベックが「日本人は信用できない」と国務省は働きかけて、首脳会談の計画を潰した。なお、1938年に国務省で「中国は親米ではない」とする報告書がまとめられたが、これを1938年まで隠したという「前科」がホーンベックにはある。彼はとにかく日本と戦争をして、その力を削ぎたかったのだろう。
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日本は、譲歩に譲歩を尽くした。
しかし、アメリカは、最初から、日本を潰すという意志である。
更に、もし、日本が、戦争をせず、アメリカに従うとした場合、日本は、アメリカの植民地になった。
どうだろうか・・・
日本が、アメリカの植民地になれば、現在の形の日本は無い。
全く、日本は壊滅して、伝統も何もかも、潰されて、国民は、最貧に堕ちただろう。
敗れても、戦争をしたから、今がある。
勿論、それでも、アメリカの植民地になっているが、戦ったからこそ、ある程度の、自立が許され、更に、日米同盟まで結んでいる。
それは、戦争した、お陰である。
だから、戦争で犠牲になった人々、兵士、民間人の、320万人を追悼慰霊することが、何より、大事なことなのである。
キリスト教白人の、植民地支配の様は、野蛮に尽きる。
それが、戦争をしたことにより、避けられたのである。
原爆投下、各都市への、無差別攻撃、大量虐殺を行われたが・・・
国際法を平気で無視する、アメリカである。
植民地支配などされては、日本人は、皆無になった、可能性もある。
つまり、人種差別の、極みを日本で、行われた可能性がある。
実は、当時のアメリカ人は日本を甘く見ていた。戦争前にフランク・ノックス海軍長官が、「半年で日本との戦いは終わる」と宣言したのはその表れと言っていい。これは戦力差を検討しての発言ではなく差別的な考えに基づいたものだったが、ワシントンで「日本との戦争は簡単に勝てる」と自信を持つ人が多かった。
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しかし、マニラにいるアジア艦隊の士官たちは中国で活動している日本海軍を実際に見ていて、「艦隊運動がうまい。軍艦も新しい。日本海軍は優秀だ」と本国に報告している。それを本国にいる海軍の上層部は信じなかったわけだが、「白人ではない」ということから「日本人は大したことなどできない」と思い込み、日本との戦争を楽観視していたのだろう。
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人種差別的な発想は、陸軍にもあった。
以下である。
「日本人の体は小さく、ちゃんと銃を持つことができない」
「肉体的な戦いで、日本人はアメリカ人に絶対に負けるだろう」
「まともに飛行機をつくれないのではないか」
「あまり頭が賢くない」
「日本人は肉体的にパイロットに向いていない」
しかし実際に戦争が始まると、連戦連敗だった。この事実にアメリカ人がショックを受けたが、歴史に学んでいれば、非白人だから劣っていると考えなかったはずだ。たとえば、日露戦争で日本人が優秀だったことは一目瞭然である。だから、ロシア人に聞けばよかった。「日本軍は強かった」と教えてくれたに違いない。
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日本軍は、強かった。
だから、アメリカの兵士たちの中には、日本を尊敬する者たちも、多くいた。特に、激戦地での、日本軍の活躍は、米軍兵士を驚愕させたのである。
実際、戦争、戦うことを、嫌うのは、軍部である。
戦いを知るからこそ、戦わずに、済むことを考える。
特攻隊の姿を見たアメリカの兵士たちの、その狼狽は、まさに、日本軍の力、その意気を見せつけた。
パラオ、ペリリュー島の戦いでも、硫黄島でも、米軍は甚だしい、消耗をした。日本軍を、甘くなど見られないことを、確信したのである。
そして、その日本軍の、兵士とは、一般人であり、多くは、民間人が参加していたのである。
軍属、つまり、軍隊に所属していなかった、一般人が戦闘に加わった。
戦争後半になると、赤紙という、兵士徴集の知らせが来た。
それは、死ぬという、覚悟の元での、参加である。
勿論、国からの、強制である。
銃を持つことがなかった者が、銃を持つという、矛盾。それを、不可抗力という。この、不可抗力の時代を生きた、若き人々に、常に、黙祷の祈りを捧げたい。
もし、平和を願うなら、まず第一に、戦没者への、慰霊の祈りである。
そこから、平和が始まる。
議論は、その後のことである。