国を愛して何が悪い209

道元は「見捨てられた」自己というものを赦さない。凡夫だから修行不可能という考え方をみとめない。彼が末法思想を否定したところにそれが端的にあらわれている。

亀井


源信以来の、浄土教の根底には、必ず、「末法の世」「濁世」という、思想があり、王朝末期から、鎌倉時代に渡り、社会観を形成していた。


自力修行の限りを尽くしても、どうにもならないという、絶望感を伴っていた。内乱と、乱世の然らしめるところだが、道元は、それを否定したのである。


それは、ある意味では、画期的なことだ。


大乗実教には正像末法をわくことなし。修すればみな得道すといふ。

弁道話


末法思想があるゆえに、その教えに説得力があった・・・

しかし、それを否定する。


信仰に生きる者には、末法など、笑うべき考え方なのである。


つまり、道元は、どんな時代でも、修行すれば、必ず得道するという、極めて信仰家に徹した。


仏法のために仏法を学すべきなり・・・である。


もう一つの、決定的なことは、それは親鸞も同じであるが、

禅宗の称たれか称しきたる、諸仏祖師の禅宗と称するいまだあらず。しるべし、禅宗の称は、魔波旬の称を称しきたらんは、魔党なるべし、仏祖の児孫にあらず。

と、言う。


つまり、宗名を立てることを、

如来の弟子にあらず、祖師の児孫にあらず、重逆よりもおもし

と、まで痛罰したのである。


親鸞の、浄土真宗は、「弥陀の本願」のことで、宗派のことではない。


では、現在、その心意気を、彼らは、受け継いでいるのか・・・

全く、その逆である。


ある研究家は、もう仏教は、宗派を別にせず、仏教として、統一すべき時期だという。


つまり、鎌倉時代の、選択仏教、せんじゃく仏教というものは、もうお終いにするとよいという、意見である。


仏教系の新興宗教も、多分に、ある経典を掲げて、仏法を伝えると言うが、もう、その時代性ではないのである。


結局、自力、他力共に、同じ目標に向かって、修行をしているのである。

どこに区分ける必要があるのか。


信仰が組織化され、宗派化されることによって、そこにどんな変質が起こるか、彼らはおそらく予想していたのであろう。私はさきにも一度述べたが、それにも拘わらず、組織化された信仰のうちに安住を求める人間の心理は否定出来ないらしいのだ。しかも静かに安住しているのではない。組織化されるにつれて宗派閥をつくり、他宗派との争いに殺気だってくるのである。信仰の名において。

亀井


これが、宗教の、最も、愚劣な形である。

闘う宗教なのである。

本来は、戦いを嫌うのであるが・・・


仏陀は、一切の戦いを放棄した。

無抵抗の姿勢である。


論争することもなかった。

後に、仏教の派閥の中で、徹底的な論争が行われるが、果たして、それが仏教だったのか。


ところが、その鎌倉時代に、戦うこと、折伏することを持って、立ち上がった者がいる。

日蓮である。


日蓮が、「立正安国論」を北条時頼に呈したのは、文応元年、1260年、39歳の時である。

法然は、没後すでに48年、道元は、その七年前に歿している。


親鸞は、88歳である。


日蓮も、末法の世、の自覚に立ち、窮極の教えを求め、12歳のときに、安房清澄寺に入り、十余年にわたる、精神遍歴を続け、最後に、妙法蓮華経、に邂逅した。


「立正安国論」にみられる日蓮の抱いた疑惑そのものは必ずしも新しいとは言えない。源平合戦から承久の変まで、なぜ多くの天皇が非運のうちに倒れて行ったか。安徳帝や、承久の変で配流となった三上皇を悼んでいるが、そこには古代風の「鎮護国家」がみられる。また内乱を通しての犠牲者と、そこに生ずる無常観は当時の誰しも抱いたところである。

或いはなぜ天変地異がくりかえされるのか。鎌倉の大地震や、疾病飢餓の発生を深く憂えているが、これも当然のことだ。内乱と天災と疾病と、歴史とは恐怖の歴史だという実感に立っていることは、いずれの出家にも共通している。

亀井 改行は私


日蓮の独自性は、何か・・・

それに対して、世の中の乱れに対して、法華経を根本とすると共に、それ以外の他宗派の対して、強烈な折伏を発揮し、その結果として生ずる、受難において、信仰の証を立てようとしたことである。


一言で言えば、狂っていた。

だが、当時の、時代性である。


その、狂いが、狂いとして、認識されなかったのである。


法華経そのものは聖徳太子の時代以来、ひろく読まれてきた。様々な性格の菩薩が登場し、劇的に構成された多彩な大乗経典であり、芸術の上にも多くの影響を与えてきた。しかし、日蓮のように読んだものはひとりもいなかった。

亀井


まさに、日蓮のように、読んだ者は、一人もいなかった。

つまり、創造である。


日蓮は、法華経を創造したのである。

だから、それは、法華経宗ではなく、日蓮宗となったのである。


しかし、だからと言って、別に新しいものは、無い。

日蓮の問題意識が、そのように行為させたのである。

受難を受けることにより、信仰の証を得るという、狂いである。