国を愛して何が悪い211

法然の「選択本願念仏集」によって、宗教改革への道が始まったのは、建久九年、1198年であり、日蓮の歿したのは、弘安五年、1282年である。


この間に、80余年の月日が流れている。


さて、日本の仏教は、どのように、変質していったのか・・・

古代日本人の仏教受容は、造型面で、過激なほど発達していた。


東大寺はじめ、全国68箇所にわたる、国分寺建立である。

外来文化を受け入れる際に生じる、一種の過剰現象である。


更に、藤原時代における、壮麗な阿弥陀堂の建立と、それは、院政時代も続き、白河院から、後鳥羽院にかけての造寺は、財政の危機にも拘わらず、おびただしい数にのぼった。


それは、権威確立とも、関係がある。


しかし、これは、仏教受容における、第二義だった。

本来それは、第一義である、如来に帰依し、戒律を守り、乞食修行をしつつ、衆生を教化するのが、第一義である。


そのためには、細やかな精舎、庵室などを巡り、小集団の形で足りる。


帰依とは、邂逅した経典あるいは人師の言葉を礼拝し、その言葉を自己の言葉として、それぞれの法統に化すること、即ち没個性的な存在となって、はじめて信仰の純化は可能である。

亀井勝一郎


そして、それは、鎌倉仏教の始祖たちが、例外なく、伽藍建立を放棄したことは、根本に帰ったことを意味する。


更に、貴族や、権力、財力から離脱するという意味でもある。


法然の宗教改革の、第一条件として、造像起塔の否定であった。

そして、鎌倉仏教の始祖たちは、皆、共通している。


ここから、現代の日本仏教の批判がいくらでも、出てくるのだが・・・


その徹底化は、異なる道を辿ったとはいえ、結局は、親鸞、道元、日蓮によって身証された。とくに信仰純化のための思索力と、その表現においては、道元は抜群であったと言ってよかろう。・・・

亀井


道元などは、明確に、仏教芸術を根本から、否定したのである。

密教芸術、浄土芸術に見られた、美的陶酔を、信仰の世界に導入してはならないと言うのである。


つまり、平安仏教の、空海、源信の教えとは、まさに、対極にある。

親鸞、日蓮は、そのような発言はないが、矢張り、伽藍仏教からの、離脱であった。


身延の日蓮の庵室、その貧窮の様、親鸞に至っては、居住不明である。


一遍のように、居住さえ捨てて、一所不住の僧もいる。

ただ、念仏を唱えつつ、諸国を遊行して生涯を終えた。


造像造塔の否定というより、始めから、そんなものとは、無縁であった。


南都北嶺から俗世へ遁世した人々、或いは、半僧半俗の隠者も存在した。

そして、鎌倉仏教の始祖たちは、例外なく、方丈の数寄の道も捨てたのである。


これは、日本史上のおける、極めて、画期的な行為である。


法然の宗教改革の第二第三の条件として、私は「知恵高才」と「多聞多見」の否定をあげておいた。才能、学識、教養、とくに「私」の「はからひ」を捨てようとした点で、親鸞も道元も日蓮も、それを主要な心掛けとしたことはすでに述べたとおりである。

亀井


凄まじいばかりの、改革だったと言える。

だが、それからは、何事も起こらないのである。

現代に至るまで、江戸時代からの、檀家制を持って、仏教は終了した。


人間は、いざとなれば、ただ一つの言葉で生きなければならないものだ。乱世に生きた人たちのこれは実感であったらしい。万巻の経文を読んでも、そのなかのただ一句への感動が生死の支えとなる。鎌倉仏教の始祖たちは、万巻の経文を読んだ人たちである。そのあげく唯一の「行」、あるいは南無阿弥陀仏の称名、南無妙法蓮華経という唱題に達し、そこに万巻の思いを託したのだ。その他すべてを「捨てる」か、「忘れる」ことを心掛けた。

亀井


更に深く、鎌倉仏教を俯瞰すれば、そこには、選択する、専修するという姿勢がある。

これは、実に非寛容である。


そこに、宗派の対立が起こる。


だが、

この場合もむろん「私」のはからひであってはならない。寛容、非寛容ともに、各個人の精神として語るべきではなく、「専修」の場合の自己放下の「行」として語らなければならないものであり、根本は仏心に発する。

亀井


亀井の言い分を、簡単に言えば、始祖たちは、我に厳しかったのである。

私という、意識を捨てる。


それを、仏に変換することを、言う。

それをやってのけたのが、鎌倉仏教と言われるものである。


或る意味では、仏陀の仏教に近いと思われる。

それは、時代性と、時代精神である。


法然の宗教改革のいまひとつの重要な条件として「持戒持律」への疑惑を私はあげた。これはいかに大きな紛糾を招いたか。戒律を重要視しないことは、仏法の根本をゆるがすことであったからだ。

亀井


つまり、法然は、持戒持律を生きられない、多くの人、破綻者の苦悩に対する、救いとは、何かを問うたのである。


実に、人間味のある、考え方である。

仏の教えは、あまねく、衆生に与えられるという、根本である。


一応、現代の日本仏教も、今一度、鎌倉仏教の姿勢に、立ち戻ることかもしれないと、思われる。


その始祖たちの、教えも、形骸化して、今滅びに瀕しているからである。

また、誰も、既存の仏教に、興味も関心も持たない時代である。


つまり、それが、必要とされない時代性なのである。

勿論、仏陀の教えが、廃れたという意味ではない。

生きるための、仏陀の教えを必要とする人も、大勢いるのである。


つまり、葬式仏教ではない、新生仏教である。

僧侶の時代は、終わった。