日々の言い分305

北海道地震・・・

全道で、停電とは・・・


地元なので、驚く。


しかし、科学的予想と、占いの、予想が、同じ程度である。


太平洋側に、地震が来る・・・何度も、言うが・・・


熊本、大阪、そして、北海道とは・・・

呆れる。


一体、いつになったら、太平洋側、東海地震や、東京直下型が来るのか・・・

益々、呆れる。


これでは、占い師を馬鹿に出来ない。

いや、占い師の方が、当たる確率が高いのである。


予知、予想、予言とは、当たらないものが多い。

実に、多いが、一つ当たると、当たると、言われる。

だから、占い師に、騙されるのだが・・・


科学的に、根拠があるのか・・・

無い。

あると、信じているだけである。


勿論、今の段階での、根拠は、あるのだろうが、自然に関しては、無理。


予想外、想定外の、災害が目白押しである。


つまり、完全に分かっていることは、少ないのである。

だから、信じる者は、騙される。


更に、台風である。

その進路も、変更出来ないのである。


私が笑うのは、祈る人々の多いこと。

しかし、台風の進路変更も、消滅も出来ない。


だから、信仰とは、嘘である。


聖書作家が、イエスの言葉として、書いた。

一粒の信仰があれば、山をも動かす、と。


嘘である。

信仰があっても、台風の進路も、変えられない。

実に、馬鹿馬鹿しい。


それでは、日本の古代の人たちは、どうしたのか・・・

心を反省して、瞑目、瞑想に近いことをした。


更に、天皇は、自然災害に、我が身の不徳の致すところと、謹慎蟄居した。


実際、自然災害には、無力である。

ただし、備えは、必要。

だから、災害の多くの犠牲は、人災ともいえる。


そこで、政府を批判する人たちが、大きな声を上げるが・・・

勿論、本人たちは、何もしない。


政府が・・・政府が・・・と、ただ、批判するのみ。


更に、マスコミも、人災とは、言わない。


よくよく、その犠牲者の状況を考えると、実に、人災が多いと、気付く。

もし、ああしていれば・・・という思いが湧く。


つまり、国の防備である。

防衛と同じように、考える事だ。

そのために、金を使う。


馬鹿な政党が、コンクリートから人へ、などと、言ったが、大間違い。


コンクリートで、防備するのである。


その、防災意識が、政府ではなく、国民に欠けているといえる。


危険だから、ここを、このようにせよ、と言わない。

自分だけは、大丈夫と思う、心の愚かさ。


勿論、私は、いつ死んでもいいので、台風でも、地震でも、平気である。


犠牲とは、死ぬことである。


生きるに意味などないので、生きる必要はないから、私は、死ぬ。

だから、自然災害は、怖くない。


さて、科学者の馬鹿なことろは、事後予言をすること。

つまり、解説である。


終わった後の解説ならば、隣の爺さんでもする。

私も、する。

呆れる。


いかに、予想、予言することが、難しいのかということである。


台風、地震は、確実に来るのである。

いつ、来ても、おかしくない。


それが、常識である。

常識とは、哲学の問題ではない。


今、現実の問題が、常識である。


自然災害は、確実に、起きるということ。

それを踏まえて、備えること、それも、常識である。


更に、死ぬことを怖れないのであれば、備える必要はない。

死ぬのだから・・・問題がない。


死にたくなければ、備える事だ。


ただし、盛者必衰の理を知るべし。

人は、生まれると、死ぬ。


別エッセイ、生きるに意味などない、死ぬ義務、を参照のこと。