フィリピン慰霊の旅

私の、道楽の旅、「テラの会」活動のため、フィリピン、セブ島、ネグロス島に出掛けた。


道楽というのは、戦没者追悼慰霊と、支援活動である。


観光旅行は、嫌いだ。だから、海外、特に、太平洋、アジアを中心に出掛けるのは、ただ、慰霊と支援のためである。


丸12年、13年目である。


そろそろと、秋風が吹く頃。

横浜から、バスに乗り、成田へ向かう。

同行は、万葉歌手、辻友子さん。

そして、成田で合流する、枝元君である。


枝元君は、初めての海外旅行である。

初めての海外旅行で、私の貧乏旅に同行するのは、勇気がいると思うが、本人は、知らないので、平気である。


成田で、十二時半に、合流することが出来た。

フィリピン航空のチェックインは、一時からである。

と、ところが、もうすでに、始まっていた。


今回の、支援物資は、私が二つで、枝元君が、二つ。

合計すると、預ける荷物は、辻さんのものと、5個である。


スムーズに進む。

そして、出国審査である。

何と、方法が変わり、コンピューターである。

ハンコが押されない。

驚く。


二年間、私は、海外へ出掛けていなかったのである。

体調と、お金の問題。


年は取るものである。

私の体も、老人に移行する手前。

ため息をついても、どうすることも出来ない。


足腰が弱ると、活動が制限される。

と、いうことで、支援物資は、以前の半分である。

もし、若者が、二、三人でもいればと、考える。


だが、もう、諦めた。

私が動けなくなって、この活動は、終わりである。


フィリピン航空は、満席だった。

私たちは、別々の席に座った。というより、もう、席が決まっていた。

皆さんは、ネットでチェックインしているのだ。


私は、通路側である。

良かった。トイレが近い。


通路は一つしかない。両側に三席である。

私の隣の二人は、フィリピン人の若い女性二人。

食事後に、友達になる。


いずれは、日本で働きたいということで、私の連絡先などの、名刺を渡した。手紙をくれることになった。


ちなみに、日本で働きたいと言う、フィリピン人は多い。

現地でも、多く出会った。


セブ島直行便は、初めてである。

いつも、マニラ経由だった。

枝元君と、辻さんのために、それにしたのである。


それは、苦労させたくなかったこと。

事務局のコータが、そうせよと、わたしに命じたこと。


更に、コータは、現地のホテルまで、予約せよと、迫った。

私は、現地で決めるタイプだが、コータが二人のために、安全と清潔を主に、それを迫る。


しかたなく、ネグロス島、バコロドのホテルと、後半の、セブ島マクタン島のホテルを、ネットで予約した。

今までにない、高い金額のホテルである。


しかし、セブシティのダウンタウンのホテルは、譲れないのである。

あの場所だから・・・


二人に見せられる、光景がある。

日本円にして、二千円程度のホテルである。


私は、そこが好きだった。

ダウンタウンの中心でもある。


ストリートチルドレン、ストリートアダルトたちが、沢山いる。あの光景を見るために。


初めての、セブ国際空港に着いた。

さて、車である。私は、いつも、車の料金で、揉める。


荷物が多いので、大型の車を紹介される。

つまり、メータータクシーはない。

その受付は、完璧である。


大型の車を勧められて、料金は、千ペソである。日本円だと、二千三百円程度と、高い。


だが、私は、彼らの言う通りにした。

行き先は、ダウンタウンの、私の指定するホテルである。


マクタン島の空港から、セブシティまでは、少し時間がかかる。

車が渋滞すると、大変な時間を要するが、今回は、スムーズに進んだ。


それでも、30分以上かかった。

ホテルに到着した頃は、現地時間の、八時過ぎである。


ホテルにチェックインする。

顔なじみの、おばさんがいた。あの、笑顔がなかった、おばさんが、今回は、笑顔で迎えてくれた。


三泊するが、一日分だけ、支払う。というより、ペソの持ち合わせがなくて、本日分の980ペソを三人分、払う。


そのホテルでは、最も良い部屋である。

それでも、色々と、部屋のトラブルがあるが・・・


兎に角、無事にホテルにチェックインした。