日々の言い分309

 衰退の流れを食い止めるのは容易ではなさそうだ。寺の大きな収入源は1回何百万円ともされる葬儀代だ。高齢化が進み、昨年は130万人近くが死亡した日本では、一見、成長分野のようにも見える。しかし、ガーディアンは「それすらも救いにはならない」と記す。確かに葬儀件数は多いものの、社会全体が後退期にある中、既に伝統的な仏式葬儀にかかる予算を出せない日本人が大半を占めるからだという。民間の葬儀場などで、より安価で簡素な葬儀を行う層が増えているという統計がその根拠だ。

 寺院側にも、葬儀代の大幅ディスカウントで対抗する動きはあるが、ことはお金や人口減の問題だけではなさそうだ。ガーディアンは、「1700年代初め、日本の人口は今よりも1億人少ない3000万人だった。それでも4万6000の寺があったのだ」と指摘する。同紙は、1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件以来、仏教を含む組織的な宗教を「近寄りがたい、暗い、危険」だととらえる日本人が増え、若い世代の宗教に対するイメージがかつてないペースで悪化していることを、仏教衰退の要因の一つに数えている。

 日本の宗教文化を研究している英ランカスター大学のイアン・リーダー教授は、現代日本の仏教は“葬式仏教”だと指摘する。神道と共存する独特のゆるやかな宗教観の中、日本人は「正月には神社で祈り、死んだら寺に行く」と、同教授は米ラジオ局「NPR」のインタビューに答えている。一部の若い住職の間では、衰退を食い止めるためには、この「仏教=葬式」のイメージの払拭が必要と考え、ボランティア活動や音楽会などの文化行事に力を入れる動きも出てきている。特に、宗派を超えた若い住職たちがバーテンを務める仏教バー『坊主BAR』(東京・四谷)は、新しい動きの象徴として、複数の海外メディアに取り上げられている。


上記の書き込みを読んで・・・

衰退する仏教を、再生させることは、出来ない。

もう、限界、無理である。

そして、滅びるものは、滅びることである。


別エッセイ、神仏は妄想である、を参照のこと。

そこでは、神仏が妄想である、ことの、証明をしている。


それらは、人間の妄想以外の、何物でもない。

そして、葬式・・・

呆れることである。

仏陀は、僧侶、出家者が、葬式をすることを、固く禁じたのである。


その、仏陀の教えを破り、仏教という、宗教が出来た。

これも、呆れる。


若い僧侶たちが、その再生を願い、云々とは・・・

自分たちの、仏教が、妄想とは、知らないらしい。

そして、その既得権益を守りたいの、一心である。

宗教家などといえる、立場ではない。

仏を売る商売をしていると、何故、認めないのか・・・


葬式なら、私もする。

古道の形である。

神社神道などは、べらぼうに金がかかる。

これも、商売に堕落した。


私の葬式、お礼が30万円てある。

後は、葬式会場に支払うもののみである。

飾り付けも、花を生けるのみ。

戒名という、大嘘は、無い。


日本人は、死ぬと、神に成る。

つまり、命と書いて、みこと、と呼ぶ。

それが、伝統である。

終わり。