日々の言い分310

叩き潰せ、韓国の第二弾である。


在日一世たちが、日本の敗戦後、何をしたのか・・・

多くの日本人が、知らない。

そう、知らないように、されたのである。


1945年8月、日本政府は、ポツダム宣言を受諾して、アメリカをはじめとする、連合軍に対して、降伏することになった。


その時、朝鮮人は、日本人であったが・・・

敗戦国民となることを、嫌い、日本が戦争に敗北した瞬間、日本人に対して、牙をむいて、襲い掛かったのである。


朝鮮人たちは、自らを、戦勝国民であるとして、敗戦国である、日本の法律に従う必要はないと、略奪、暴行、殺人、強姦など、日本各地で、繰り返した。


忘れるな、日本人よ。


即座に、掌を返す、朝鮮人である。

その、歴史的背景を見れば、それが、一目瞭然で、解る。


朝鮮の三国時代から、李氏朝鮮の時代とは、暗黒の歴史である。

民族同士で争い、また、争いに継ぐ、争いである。


そして、その身分制度の、激しさは、今も、その残滓が残るほどだ。


全く、人間所業を離れた、野蛮な人殺しである。


そして、属国主義、それを、事大主義と呼ぶ。

大に着くということだ。


だから、大陸の大きな国、中国に従う。

自ら、申し出て、属国になるという、有様である。


さて、敗戦後の日本人を、つまり、昨日まで同じ、日本国民だったのが、日本人を、敗戦国民、三等国民として、徹底的に貶め、暴行、虐殺などを行った。


敗戦により、日本軍が解体され、警察力も弱体化して、治安維持が困難になっていた。

旧陸軍の小銃や拳銃などで武装し、やりたい放題をやった。


何故、これが、隠蔽されたのか・・・


逆に、日本人が朝鮮人を、虐殺したという、嘘の話ばかりが作られた。


ここで、朝鮮人が起こした、凶悪事件のうち、特に有名なものを、挙げる。


1945年12月24日、1946年1月9日、生田警察署襲撃事件である。


1945年12月29日、直江駅リンチ殺人事件。


1946年1月3日、富阪警察署襲撃事件。


1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件。


1946年8月5日、富山駅前発出所襲撃事件。


と、延々と続く。


それらを書くと、一冊の本になる。


その日本の敗戦後、朝鮮人は、武装して、集団で徒党を組み、日本各地で、暴れた。

朝鮮人による、略奪、暴行、殺人、強姦は、日常茶飯事であった。


金や食料だけではなく、土地を奪われた日本人も、数多い。


空襲の被害が大きかった地域には、朝鮮人が殺到して、家族全員が死亡した家があれば、土地に勝手にロープを張り、占領して、我が物とした。


だから、在日の住む場所を見て、時々、私は、それを思い出す。


更に、戦前の日本は、国民皆兵で、若い男の多くが、徴兵されて、外地に贈られた兵士の復員は、船舶不足、燃料不足で、中々進まない。

つまり、女、子供が多かった。


そこに、朝鮮人は目をつけて、家を襲撃して、妻、娘を強姦し、家からたたき出して、金、土地を奪ったのである。


多くの駅前の一等地などは、朝鮮人によって、不法占拠されたのである。


現在、パチンコ屋が、駅前に多い理由が解るというものだ。


これが、在日一世の、想像を絶する日本における暴力である。


それから、在日は、日本人の恐怖と憎悪の対象となった。


しかし、敗戦直後の混乱が収束して、社会が安定してくると、武装して、戦勝国民を名乗り、略奪、強姦など、やりたい放題に、暴れる事は、不可能になった。


そこで、在日たちは、戦勝国民を名乗ることを止め、代わりに、強制連行の被害者を自称するようになる。


以前は、我々在日は戦勝国民だから、日本人は、言うことを聞け、と叫んでいたが、次には、在日は強制連行の被害者だから、言うことを聞け、と叫ぶようになるのである。


強制連行とは、聞いて呆れるが・・・

確かに、強制連行された者たちがいる。

だが、それは、朝鮮人に騙された人たちである。


朝鮮人に騙されて、日本に連れてこられて、タコ部屋などに入れられたのである。勿論、日本人も、入れられた。


自分たちの同胞がしたことを、日本人のせいにするという、狂いは、如何ともしがたい。


更に、強制連行などではなく、密入国者である。

それを、堂々と告白する者もいる。


日本統治時代に、どれほどの、朝鮮人が日本に来ることを、求めたか、数知れない。

朝鮮という、地獄を離れて、日本行きを目指したのである。


話は、まだまだ、ある。

引き続き、このテーマで、時々、書くことにする。


別エッセイ、打倒・韓国、も参照のこと。