生きるに意味などない131

精神病理学は、普通の生活をしている人にも、大いに、有効な言葉の世界を提示してくれる。


そして、そこからの専門家の言葉は、実に、深いのである。

それは、治療に際して、結局は、言葉から始まるからである。


だが、言葉にならない思いを、人は持つ。

まだまだ、先は長い・・・


また、離人症状は生きられた身体性の持っている体感的な実体性の喪失ないし滅弱と考えることができるし、また抑うつ症状は、生命感情的なものであれ反応性のものであれ、火宅無常な人間が、基底的、無意識的に持っている「生の重みの感じ」とでもいうべきものの「前景化的変容」と見ることができる。

霜山


火宅無常とは、仏教用語である。

霜山氏は、東洋、西洋の思想、哲学を駆使して、説明する。


だが、これを読んで、解ったとは、言えない。

ある程度の、知識が得られたという程度である。


基本的に、臨床の場に臨む人でなければ、解らないのである。


抑うつが、生の重みとでもいうべき、前景化的変容と言う。

この、前景化的変容とは、何か・・・


それは、無意識に持つものと言うが・・・

果たして、それを本当に、持っているのか・・・


将来を見る眼の、変容と私は、考える。

抑うつとは、将来に関する、思いなのである。

本当は、今なのだが・・・


次に生きる、気力が尽きている様子である。

今から、次に・・・その気力が、滅弱している。



その先が、信じられないのである。

勿論、そんなことを、全く考えない人には、理解不能である。


だから、精神病理学が、面白いと言える。


人間は常に存在しながら何か存在といったものを会得しているという仕方で実存している。われわれはたとえなお漠然としたものであれ、常に存在についてのある会得の内に動いているものであり、この存在会得はうたがいもなく、全く根源的にわれわれ人間の根本構造そのものに属している。

ハイデガー


上記を定義とするならば、

精神病理学における不安は、何よりもまず体感(セネステジー)としてのそれであり、存在論的に見れば、結局は生きられた身体性にあってのこのような存在会得におけるある違和感であり、条件でもあるのである。

霜山



横やりを入れると、それも、脳内物質の所以であると、言う。


そして、時代は、脳内物質の世界の方法を取り入れ始めたのである。

そこには、別な哲学、思想が必要になる。


薬一つで、緩和させる・・・

だが、この論説が、無用ではない。

このような、言葉の世界を必要とする人は、確実にいるのである。


この存在会得はうたがいもなく、全く根源的にわれわれ人間の根本構造そのものに属している・・・


このハイデガーの言葉で、どれほど、救われる人がいるか・・・

つまり、精神病理学で扱う、患者としても、言葉の世界が必要なのである。


その言葉の意識に、深まる、生きる意識である。

こうして、人間は、狂い続けて生きて来た。


言葉の無い、動物は、狂うことがない。

もし、狂いに似た行動を取ったなら、それは、何かに対する、反応である。



人間のように、その狂いの中に、救いを求めて、言葉を探さない。


セネステジーの世界は人間の体感的な幻覚妄想気分の根源にありながら、しかも表現ないし言語化困難なものである。

霜山


ここで、また、面白いことを言う。

表現、ないし、言語化困難である。


われわれは、患者が体感的な幻覚妄想気分やセネストパティを、例えば「脳が二階にあがったようで不安です」などと、いかに表現してよいか当惑しているのを見ることも稀ではない。

直接に体験されている事実としての不安は、われわれに親しいものであっても、体感的世界の言語化はその世界自身を失わせることがあるので、いかにしてそれを取り扱うかという問題の前にわれわれは立たされることになるのである。

霜山 改行は私


体感的世界の言語化はその世界自身を失わせることがあるので・・・


言葉にすると、その世界を、失わせる・・・


それは、精神病理学の世界だけではない。

ごく、普通の人の世界でも、起こり得るものである。


日本の場合は、その歌詠みの世界を俯瞰するといい。

歌詠みは、まさに、体感的世界の、言語化である。


日本の言葉は、それを失わせない。


歳々に 我が悲しみは 深くして いよよ華やぐ いのちなりけり

岡本かの子


いつしか・・・敗戦から、日本人は、日本の精神を見失った。

西洋の哲学、思想が、より良いものとして、理解して、日本的精神性を捨てた。そのために、多くの言葉を必要とするようになった。


その反省から見て、こういう論説は、実に有意義である。

死ぬまでの、暇潰しに、持ってこいである。


咳をしても 独り

山頭火

多くの言葉よりも、実に、多くを語る。


和歌、俳句の世界を見よ・・・


おとうさん 天国は もう秋ですか

小学生


例えば、万葉集の一首を、他国の言葉に、翻訳するとしたら、膨大な言葉が必要である。

日本語を使う、日本人だから、多くの言葉を必要とせず、解る。


南国の 浪のしじまの その波の 間合いに息を ひきとりにたき

天山


願わくば 花の元にて 春死なん その如月の 望月のころ

西行