生きるに意味などない135

人類学者、石田英一郎氏の論説から・・・


ユーラシア内陸遊牧民族に共通の、一神教的な天の崇拝の特徴として、

第一に、天空そのものを神とみること。

第二に、この神すなわち天は、世界秩序の摂理の力であること。

第三に、この上天神には人格神の要素が希薄であり、人格化して表象される場合には、原則として女性ではなく、男性、母ではなくて、父として考えられる。


このような特徴を持った信仰から、ユダヤ、キリスト、イスラム教などに見る、上天の唯一神、儒教に見る、天の思想にまで、その根強い系統を引いている。


この一系統の宗教概念を、文化史的にみて、父権的、遊牧的、上天神的信仰圏と名付ける。


これに対して、対称的性格を備えた、他の一系統の信仰圏が、古来人類文化史の上に、大きな役割を演じて来た。


それは、摂理の力としての天に対して、生成豊穣の源泉としての大地であり、その象徴は、女神である。

いわゆる、大地母神の信仰である。


ここでは、多産豊穣の女性原理が、当初から人格神として、表象されてきた。また、これらの女神は、種族を生み出した、母祖神、あるいは原始母神としての性格が、濃厚である。


ここに、植物栽培民の文化が生じ、この文化の形成に演じた、女性の大きな役割がある。


つまり、日本のことである。

それは、一系統としての、母権的、農耕的、大地母神的信仰圏と名付けることが出来る。


と、まあ、学者は、そういう概念を作ることが、好きなので、一応受け入れておく。


数千年来、我々、日本の先祖たちは、この列島に住み着き、農耕を主として、定住の生活を送って来た。


すなわち、日本人の死生観、信仰観、価値観も、当然、母権的、農耕的、大地母神的信仰による、となる。


しかし、時代が下るにつれて、政治形態、社会組織が変わり、母権制は、父権制に、家父長制に変わった部分はある。


それでも、民間信仰、習俗の中に、いまだに母権制の名残がある。

当然である。


私は、名残があるというより、それが底辺に流れていると、言う。


定住農耕の生活において体験的に信仰される生命観は、作物としての植物の生命になぞえらた永遠の循環である。種子、発芽、生育、凋落、種子。かくて生命は個体として消滅しても、永遠に生き続ける。人間の個体の死滅も、子孫への継承という制度をとおして永続する。農耕民族における祭りや七五三や成人式などの通過儀礼のすべてが、植物の発芽や生育にあやかる生命礼賛、豊穣祈願、生命高揚の目的をもっていることからして、これは明らかである。

磯部


つまり、日本人は、日本列島の自然の風景を見つめて、これから学んだということである。

それほど、豊かな自然に恵まれていたのである。


そして、その自然から、生まれ、自然に死ぬという、観念を得た。

当然、宗教、信仰形態も、それから生まれるが・・・


どうしても、古代人の、あるいは、古代の人たちが行ったことを、宗教、信仰と、結びつける、学者、研究家が多いが、それほど、表現の方法が無いのか、才能がないのか、そこに、私は呆れるが。


日本文化の特質を西洋文明のそれと対比した考察したが、日本の多くの思想家や文明批評家が、日本人の民族性の由来を、歴史時代とくに仏教伝来以後の歴史と結びつけて説明しようとしていることに対し、私はむしろ、歴史的以前以後を通じ、日本人の生活が西洋にくらべて牧畜に依存することのはるかに僅少であった点を重視し、大陸の仏教や道教的なものを容易に受容吸収することのできた日本の固有文化のエトスは、動物的、ではなくて、植物的=農耕的、であることを強調してきた。・・・

石田英一郎


そして、続きは、私が簡略して書く。


日本書紀によれば、天孫降臨に先立つ日本の国土では、草木も、ものをよく言い、神々は、闇の夜の蛍火のように輝いたり、群がるさ蠅のように、音たてたという。

人も、自然も、万象ことごとく、生あるものとして、共存し得たのである。

この、アニミズム的な、世界観を生んだ、文化的基盤は、仏教以前、縄文時代以後にあたる弥生時代の、稲作農耕民の中に、求められるべきであり、日本人の中核的な個性は、この時代に育まれて、古墳時代の終わりまでには、ここにいう日本民族の形成は、完了していたものであろう。


以上が、石田氏の、言い分である。


が、私は言う。

縄文期の後半、500年頃から、稲作は、始まっている。

その証拠が、出たのである。


更に、日本民族の精神は、縄文期から続ていると、言う。


仏教自体が、全くインド仏教とは、別物である。

つまり、日本的に、解釈したのである。


その議論には関しては、別エッセイ、神仏は妄想である、に多く書いているので、そちらを参照ください。


稲作農耕民ではない。

縄文期の精神が、続いていたことを、明確に言う。


何故、弥生時代に、農耕民になったのか・・・

それは、縄文期から続ていたからである。

その精神が、続いていたのである。


それでは、その証拠は、書かれていないというなかれ。

万葉集に、その精神が発揮されている。


どうして、突然、万葉集のような精神が、生まれる訳があるのか。

それは、延々と、続いてきた精神が、歌として、結実したのである。


磯部氏が、指摘することの言葉は、容認できる。

以下


もとより、その後仏教や儒教や道教や、さらにキリスト教などの影響を受けて、固有文化のエトスとも言うべきものはさまざまの変容をとげた。ことに、のちに述べるような日本人の心性ないし文化の特性はある絶対的なーーーと信じ込まれたーーー価値の尺度を想定して、そこから対象なり思想なりを二者択一的に選別するというやり方をとらないで、二者を折衷したり、二者の区別をぼかしたり、便宜的にその一部分だけを受容したりすることを平気でやってのける。

磯部


確かに、その通りである。

一言いう。

最も、日本人の生活に影響を与えたのは、仏教でも、儒教でもない。

それは、民衆道教と言われる、民衆から発した道教であり、成立道教ではない。


民衆道教、成立道教についても、別エッセイ、神仏は妄想である、を参照のこと。