フィリピン慰霊の旅6

セブシティの最後の日は、自由行動である。

次に戻る時は、セブ島観光として、有名なマクタン島になる。


食事は、朝昼晩と一緒だった。

それ以外は、それぞれ自由に行動する。

ただし、夜は駄目。危険だからである。


私は、朝から、荷物の整理をした。

支援した衣類の、空き分を埋める。機内持ち込みの、手荷物を移動して、機内持ち込み分を軽くする。


支援活動は、終わった後が、空になるから楽である。

おおよそ整理がつき、街中に出る。


だが、何をしたのか、ぼんやりしている。

道端で売る、果物、とうきびなどを買ったようだ。


ああ、そうだ。マッサージである。

一時間、200ペソのマッサージを受けた。枝元君も、一緒である。

日本では、マッサージなどしない枝元君も、マッサージをした。


受付で、タイ式か、バリ式かと尋ねられたので、タイ式にした。

私は、フットマッサージで、枝元君は、全身である。


思った以上に、マッサージのおばさんが、上手かった。

少し、うたた寝したほど。

私は、30年ほど、整体を研究して、今に至る。

特に、下半身の、足裏が専門である。


タイ式マッサージは、下半身がうまい。

何度も出掛けて、そのマッサージの有様を、会得した。

タイに出掛けると、毎日のように、マッサージを受けた。


枝元君も、それなりに満足した様子である。


それから・・・

思い出せない。寝ていたような感じである。

そてに外に出ると、汗だくになるので、何度も、シャワーを浴びた。


夜の食事は、朝の食事をしたところからの並びにある、矢張り、食堂である。

そこに、おばあさんがいて、私達に色々と話しかけて来た。そして、料理の説明である。

日本人だと知って、喜んでいた。


その、おばあさんは、食堂の経営者の母親なのだろう。

私達に、水など持ってきた。


ただ、カラオケがあり、時々、喧しくなる。

一人の男が、下手な歌を大声を上げて歌う。


歌が終わり、静かになり、ホッとした。


私は、はたして、もう一度、セブシティに来るだろうかと、考えた。

もう、これで最期もしれないと、思う。

15カ国を回り、13年目である。

はたして、体が続くのかと、不安になった。


支援活動は、おおよそ、無理である。

もし、最低出来るとしても、若者が必要である。

つまり、体力の問題である。


ただし、慰霊は、まだ出来る。

でも、出掛けることが出来るのかは、解らない。


これが、最後と思う心が、いい。

これで、最後と思うと、また、行為が格別に感じられる。

良い道楽を、持ったものだ。


夜、私は、一人で、明日の予定を立てた。

ネグロス島、バコロドに到着して、すぐに、空港から行動を始めるという。


本当は、一度ホテルに入り、翌日からと思ったが、追悼慰霊の場所が空港からの方が、近いのである。


シライという町に空港があり、そこが、日本軍の司令部があった場所であり、その空港の下が、日本軍の武器弾薬の倉庫だった。

そして、そこから続く山道が、日本軍が敗走した場所である。


そして、シライ川には、日本兵の遺骨が流れた。

そのシライ川のほとりで、慰霊をすると、来る前から、決めていた。


前回、一度、海側の川べりで、慰霊をしていた。


さて、それでは、バコロドに行くことにする。

朝、ホテルを8;30に出る。

国内線の空港は、国際線の隣である。


国内線は、なども利用しているので、勝手が解る。

ネットでチェックインしていたので、受け付けでは、簡単である。

三名の席も決まっている。


バコロド行きは、空席が多く、私は早速、別の席に移動した。

40分でバコロドに着く。

何せ、隣の島である。地図で言えば、セブ島の上に当たる。


昼前に到着するので、私は、車の手配を考えていた。

片言英語、日本語英語で、理解出来る運転手であることが、条件である。


その昔、最初に、空港のタクシードライバーに、大声で怒鳴り、何故、メーターで走らないのかと、抗議していた際に、エジアさんに声を掛けられた。それから、エジアさんとの付き合いが始まり、バコロドでは、いつもお世話になった。


そのエジアさんは、結婚して、仕事のために、マニラにいる。

だが、忙しい中、私がバコロドに行くと伝えると、バコロドの家にいる、おばさん、ニジさんに連絡してくれた。

後で、ニジさんが、ホテルに訪ねて来る。


荷物を持って、空港の前に出ると、相変わらず、タクシー勧誘の声である。そして、私は、荷物が多いからと、大型バンの車に紹介された。

そこで、そのドライバーと交渉することになった。


相手は、30代の男である。

私は、ゆっくりと、英語で、シライ川の川沿いで、祈る。そして、その後、シライ川沿いに、山道を行く。そして、集落の人々に、衣類を差し上げる旨を告げた。

すると、ドライバーが理解した。

今度は、料金である。

相手に言わせる前に、私は、二千ペソで行けるかと、聞いた。


すると、2500ペソであると、言う。

私は、二千ペソでなければ、ノーと言った。すると、彼は、頷き、オッケーと言う。

それで決まり、である。


早速、二人を呼んだ。