フィリピン慰霊の旅7

車の中は、意外に広かった。

荷物を後ろに積んでも、ゆうに、六名ほどが乗れる。


私は、ドライバーの後ろに座った。

そして、号令をかける。

最初は、シライリバーである。


車が走り出して、私は、少し二人に説明した。

山中で死んだ、日本兵の遺骨が流れた川であること。

まず、何処かの、川べりで慰霊する。


ドライバーは、意外なことに、川の上流を目指した。

最初に慰霊をしたのは、海に面した、川べりの橋の上だった。

それが、上流とは、願っても無いこと。


そして、一つの橋の上に来た。

ドライバーが車を止めた。

私を見るので、頷き、降りることにした。


そして、即座に慰霊をすることにした。


唯一、日の丸だけを掲げた。

私の慰霊の儀は、何も置かない。

祭壇も、供物も、必要ない。

つまり、体と心と、一つの誠である。


私の所作は、縄文期の、信仰の元が原型である。

それを称して、古道神道と呼んでいる。

古道でいいが、それでは、理解されないと、神道と付けた。

宗教ではない。伝統である。伝統行為である。


神呼びをする。

それは、霊位をお呼びする行為である。

音霊、おとたま、によって、それをする。


ある時は、その辺の木の枝を使うこともある。

その木を依り代にして、霊位を迎える。

つまり、木に霊位を懸けるのである。


そして、日本の神々をお呼びする。

それから、通俗的に言うと、祝詞を奏上するが、私の場合は、献上する。

つまり、祝詞を霊位に差し上げる行為である。


祓い清める・・・何をか・・・想念である。

未だに、戦うという、兵士の、そして、死んだと言う兵士の、更に、死んだことを知らぬ兵士の想念である。


目覚めさせる。


神々に、引き上げをお願いする。

送りの音霊により、霊位をお送りする。


すべて、私の心のままに、行う。

最後の、音霊が、私の心である。

ただ、心一つにかかる。


皆さまのことは、忘れれていません。

ありがとうございます。

故郷に、父母の元に、日本に、お戻りください。

あるいは、靖国に、と言葉をかける。


霊位は、気づきである。

気づけば、その動きは、早い。即座に、移動する。次元移動する場合もある。だが、私は、確認出来ない。そんな能力はない。


私は、慰霊師だが、霊能者ではない。


そして、感じるだけである。

その、感じる力のみを、頼りにする。


車に乗り込み、更に、山に向かって進む。

くねくねとした道、山道を走る。

ドライバーが、細い山道に入る。運転するのが、大変である。

それでも、行く。

そして、何と、川べりに来た。


まさか、川べりで水に触れるとは・・・

私達は、車を降りて、川辺に行き、その川に手を入れた。


そして、そこで、近くに生えた、草花を手折り、私は御幣として、川に流した。つまり、霊位を川で送る行為である。


見事に、流れて行く。


辻さんは、祈り、枝元君は、写真を撮る。そして、最後に一緒に、祈る。


ドライバーが、これから、どうするのかという、顔をするので、私は、更に、上を指して、ゴーと言った。

車は、更に、山に向かう。


そして、願ったことが叶った。

ついに、車が、行き止まりまで、上がったのである。


もう道がない。

つまり、日本兵が行軍した場所を、私達も、行ったのである。

山の中腹に当たる。

これは、僥倖だった。


そして、その行き止まりには、集落があり、人々がいた。

支援物資をすべて出して、声を掛けた。


フラム・ジャパン・プレゼント・・・

子供たちが、大人たちが、来た。


枝元君が持参した、ふいぐるみ、玩具類を、すべてバッグから出す。

歓声が上がる。

衣類も出す。


それは、皆に勝手に取って、貰った。

誰でもいいのである。

村の人たちは、分かち合うから。


集落の人たちが、とても喜んだ。

まさか、こんなことがあるとは・・・という、顔、顔である。


写真にも、皆、参加する。

願った通りの支援が出来た。


サンキューの連発である。

ああ、良かった。良かった。良かった。