フィリピン慰霊の旅9

バコロドでの、最初の夕食は、屋台連合である。

私が勝手に、付けた名である。

屋台は、沢山あるが、それぞれが時間により、変わる。


朝から昼過ぎまで、そして、昼から夕方まで、そして、夕方から夜、深夜に及ぶ店もある。


それぞれが、上手い具合に、交替する。

ホテルから歩いて、屋台連合に向かう。

さて、どの店にするか・・・


一つ一つの店の前の、焼き物を見て回る。

そして、最後になる。

私達は、最後の店に決めた。

好きなものを、焼いてもらう。


私は、ビールを飲みたくなった。

そんなことは、決してないが・・・旅の間は、アルコールは必要ないのである。

だが、突然、その場の気分で、ビールである。

何十年振りか・・・


すると、枝元君も、付き合うと言う。

二人で、フィリピンビールを飲む。


そして、指定した焼き物を待つ。

私は、魚と豚肉を選んだ。それに、ライスを付ける。

店の人たちは、何かと私達に、気を遣う。

何せ、日本人である。

そんなところに、日本人が来ることはない。


英語が適当に通じるのが、助かる。


周囲は、お祭りのような雰囲気。

いや、私達には、お祭りである。

何となく、楽しい。これが、病みつきになる。


日本では、道路交通法があり、そんな屋台は、特別な日にしか出来ない。

東南アジアを回った私は、多く、その屋台に世話になった。何せ、美味しい、安いからである。


衛生面・・・そんなものは、関係ない。

食あたり程度なら、問題ないのだ。


火を通すものは、大丈夫である。

更に、生野菜も、大丈夫になってきた。それは、水である。野菜を洗う水を、管理された水でするようになった。

その前は、水道の水てあるから、危なかった。


アジアの水道の水は、飲めない。

ただし、カンボジア、プノンペンの一部の水が、飲めるようになった。それは、日本の北九州市の水道局が、技術支援して、出来たものである。


更に、その水が、高い値段で売られている。


そのペットボトルには、日本語で、この水は日本の水道に準じた基準により、作られています、と書かれている。

それが、どのミネラルウォーターより、高いのである。

驚いた。


日本の水道技術提供で、アジアが救われる。

いずれは、フィリピンにもと、願う。


さて、私達は、楽しい食事をした。

周辺の屋台も、客で混雑している。

混然一体となり、何となく、楽しいのである。


もう食べられない程食べて、三人で、300ペソ程度。つまり、700円程度である。有り難い値段である。


初めての二人・・・

何と、楽しんでいるではないか。

辻さんも、枝元君も、何の不思議も、不安も無い様子。私も、安堵した。


これが出来なければ、もう私と一緒に行動できない。

辻さんは、バリ島、タイと一緒に旅したので、大丈夫だったが、枝元君は、初めてである。


食事をしつつも、写真を撮るという。


食事を終えて、ホテルに戻る。その道は、近いのである。しかし、昼間に出とると、迷う。


解っているはずだが、迷うのである。


色々書きたいことがあるが・・・終わらないので、省略する。


翌日、私達は、タクシーで慰霊に向かう。

ホテル前に留まる、タクシードライバーに、話し掛ける。


ロザリオ通りにある、日本兵慰霊碑に行きたい。その後は、海岸に出る。それを英語で言う。

ドライバーは、内容には、納得したが、その慰霊碑のことは、知らない様子。

だが、行くという。そして、メータで行くのかと、尋ねる。オッケーである。


私達は、乗り込んだ。

助手席に私が座った。


ところが・・・

ロザリオ通りがあるが、その慰霊碑の在処が解らない。

車が止まると、降りて、周辺の人に聞く。

更に、移動して、また、聞く。


私の記憶では、街中から、それほど離れた場所ではない。

そして、結果的に、ようやく見つけることが出来た。


その慰霊碑は、目の前の家の人が、手入れをして、いつも綺麗である。更に、その横には、庭が作ってある。

その方は、私を知る。


そこに到着すると、すぐに、そのおじいさんが、出て来た。

そして、遊んでいた、子供たちも。


私達は、まず、慰霊碑に上り、すぐに慰霊の儀を取り行う。

日の丸を掲げて、祈る。


私は、祓い清めの祝詞を唱えた。

これが、慰霊の儀である。

想念を、祓い清めることによって、霊位の浄化を促す。

そして、日本の神々、それぞれの家系の神に、引き上げを願う。

私の力ではない。それは、神々の力である。


日本の祖霊の力である。

その仲立ちをするのみ。


そして、日本人として、ただ、ありがとうございます、と黙祷する。


バコロドでの、最初の夕食は、屋台連合である。

私が勝手に、付けた名である。

屋台は、沢山あるが、それぞれが時間により、変わる。


朝から昼過ぎまで、そして、昼から夕方まで、そして、夕方から夜、深夜に及ぶ店もある。


それぞれが、上手い具合に、交替する。

ホテルから歩いて、屋台連合に向かう。

さて、どの店にするか・・・


一つ一つの店の前の、焼き物を見て回る。

そして、最後になる。

私達は、最後の店に決めた。

好きなものを、焼いてもらう。


私は、ビールを飲みたくなった。

そんなことは、決してないが・・・旅の間は、アルコールは必要ないのである。

だが、突然、その場の気分で、ビールである。

何十年振りか・・・


すると、枝元君も、付き合うと言う。

二人で、フィリピンビールを飲む。


そして、指定した焼き物を待つ。

私は、魚と豚肉を選んだ。それに、ライスを付ける。

店の人たちは、何かと私達に、気を遣う。

何せ、日本人である。

そんなところに、日本人が来ることはない。


英語が適当に通じるのが、助かる。


周囲は、お祭りのような雰囲気。

いや、私達には、お祭りである。

何となく、楽しい。これが、病みつきになる。


日本では、道路交通法があり、そんな屋台は、特別な日にしか出来ない。

東南アジアを回った私は、多く、その屋台に世話になった。何せ、美味しい、安いからである。


衛生面・・・そんなものは、関係ない。

食あたり程度なら、問題ないのだ。


火を通すものは、大丈夫である。

更に、生野菜も、大丈夫になってきた。それは、水である。野菜を洗う水を、管理された水でするようになった。

その前は、水道の水てあるから、危なかった。


アジアの水道の水は、飲めない。

ただし、カンボジア、プノンペンの一部の水が、飲めるようになった。それは、日本の北九州市の水道局が、技術支援して、出来たものである。


更に、その水が、高い値段で売られている。


そのペットボトルには、日本語で、この水は日本の水道に準じた基準により、作られています、と書かれている。

それが、どのミネラルウォーターより、高いのである。

驚いた。


日本の水道技術提供で、アジアが救われる。

いずれは、フィリピンにもと、願う。


さて、私達は、楽しい食事をした。

周辺の屋台も、客で混雑している。

混然一体となり、何となく、楽しいのである。


もう食べられない程食べて、三人で、300ペソ程度。つまり、700円程度である。有り難い値段である。


初めての二人・・・

何と、楽しんでいるではないか。

辻さんも、枝元君も、何の不思議も、不安も無い様子。私も、安堵した。


これが出来なければ、もう私と一緒に行動できない。

辻さんは、バリ島、タイと一緒に旅したので、大丈夫だったが、枝元君は、初めてである。


食事をしつつも、写真を撮るという。


食事を終えて、ホテルに戻る。その道は、近いのである。しかし、昼間に出とると、迷う。


解っているはずだが、迷うのである。


色々書きたいことがあるが・・・終わらないので、省略する。


翌日、私達は、タクシーで慰霊に向かう。

ホテル前に留まる、タクシードライバーに、話し掛ける。


ロザリオ通りにある、日本兵慰霊碑に行きたい。その後は、海岸に出る。それを英語で言う。

ドライバーは、内容には、納得したが、その慰霊碑のことは、知らない様子。

だが、行くという。そして、メータで行くのかと、尋ねる。オッケーである。


私達は、乗り込んだ。

助手席に私が座った。


ところが・・・

ロザリオ通りがあるが、その慰霊碑の在処が解らない。

車が止まると、降りて、周辺の人に聞く。

更に、移動して、また、聞く。


私の記憶では、街中から、それほど離れた場所ではない。

そして、結果的に、ようやく見つけることが出来た。


その慰霊碑は、目の前の家の人が、手入れをして、いつも綺麗である。更に、その横には、庭が作ってある。

その方は、私を知る。


そこに到着すると、すぐに、そのおじいさんが、出て来た。

そして、遊んでいた、子供たちも。


私達は、まず、慰霊碑に上り、すぐに慰霊の儀を取り行う。

日の丸を掲げて、祈る。


私は、祓い清めの祝詞を唱えた。

これが、慰霊の儀である。

想念を、祓い清めることによって、霊位の浄化を促す。

そして、日本の神々、それぞれの家系の神に、引き上げを願う。

私の力ではない。それは、神々の力である。


日本の祖霊の力である。

その仲立ちをするのみ。


そして、日本人として、ただ、ありがとうございます、と黙祷する。


バコロドでの、最初の夕食は、屋台連合である。

私が勝手に、付けた名である。

屋台は、沢山あるが、それぞれが時間により、変わる。


朝から昼過ぎまで、そして、昼から夕方まで、そして、夕方から夜、深夜に及ぶ店もある。


それぞれが、上手い具合に、交替する。

ホテルから歩いて、屋台連合に向かう。

さて、どの店にするか・・・


一つ一つの店の前の、焼き物を見て回る。

そして、最後になる。

私達は、最後の店に決めた。

好きなものを、焼いてもらう。


私は、ビールを飲みたくなった。

そんなことは、決してないが・・・旅の間は、アルコールは必要ないのである。

だが、突然、その場の気分で、ビールである。

何十年振りか・・・


すると、枝元君も、付き合うと言う。

二人で、フィリピンビールを飲む。


そして、指定した焼き物を待つ。

私は、魚と豚肉を選んだ。それに、ライスを付ける。

店の人たちは、何かと私達に、気を遣う。

何せ、日本人である。

そんなところに、日本人が来ることはない。


英語が適当に通じるのが、助かる。


周囲は、お祭りのような雰囲気。

いや、私達には、お祭りである。

何となく、楽しい。これが、病みつきになる。


日本では、道路交通法があり、そんな屋台は、特別な日にしか出来ない。

東南アジアを回った私は、多く、その屋台に世話になった。何せ、美味しい、安いからである。


衛生面・・・そんなものは、関係ない。

食あたり程度なら、問題ないのだ。


火を通すものは、大丈夫である。

更に、生野菜も、大丈夫になってきた。それは、水である。野菜を洗う水を、管理された水でするようになった。

その前は、水道の水てあるから、危なかった。


アジアの水道の水は、飲めない。

ただし、カンボジア、プノンペンの一部の水が、飲めるようになった。それは、日本の北九州市の水道局が、技術支援して、出来たものである。


更に、その水が、高い値段で売られている。


そのペットボトルには、日本語で、この水は日本の水道に準じた基準により、作られています、と書かれている。

それが、どのミネラルウォーターより、高いのである。

驚いた。


日本の水道技術提供で、アジアが救われる。

いずれは、フィリピンにもと、願う。


さて、私達は、楽しい食事をした。

周辺の屋台も、客で混雑している。

混然一体となり、何となく、楽しいのである。


もう食べられない程食べて、三人で、300ペソ程度。つまり、700円程度である。有り難い値段である。


初めての二人・・・

何と、楽しんでいるではないか。

辻さんも、枝元君も、何の不思議も、不安も無い様子。私も、安堵した。


これが出来なければ、もう私と一緒に行動できない。

辻さんは、バリ島、タイと一緒に旅したので、大丈夫だったが、枝元君は、初めてである。


食事をしつつも、写真を撮るという。


食事を終えて、ホテルに戻る。その道は、近いのである。しかし、昼間に出とると、迷う。


解っているはずだが、迷うのである。


色々書きたいことがあるが・・・終わらないので、省略する。


翌日、私達は、タクシーで慰霊に向かう。

ホテル前に留まる、タクシードライバーに、話し掛ける。


ロザリオ通りにある、日本兵慰霊碑に行きたい。その後は、海岸に出る。それを英語で言う。

ドライバーは、内容には、納得したが、その慰霊碑のことは、知らない様子。

だが、行くという。そして、メータで行くのかと、尋ねる。オッケーである。


私達は、乗り込んだ。

助手席に私が座った。


ところが・・・

ロザリオ通りがあるが、その慰霊碑の在処が解らない。

車が止まると、降りて、周辺の人に聞く。

更に、移動して、また、聞く。


私の記憶では、街中から、それほど離れた場所ではない。

そして、結果的に、ようやく見つけることが出来た。


その慰霊碑は、目の前の家の人が、手入れをして、いつも綺麗である。更に、その横には、庭が作ってある。

その方は、私を知る。


そこに到着すると、すぐに、そのおじいさんが、出て来た。

そして、遊んでいた、子供たちも。


私達は、まず、慰霊碑に上り、すぐに慰霊の儀を取り行う。

日の丸を掲げて、祈る。


私は、祓い清めの祝詞を唱えた。

これが、慰霊の儀である。

想念を、祓い清めることによって、霊位の浄化を促す。

そして、日本の神々、それぞれの家系の神に、引き上げを願う。

私の力ではない。それは、神々の力である。


日本の祖霊の力である。

その仲立ちをするのみ。


そして、日本人として、ただ、ありがとうございます、と黙祷する。


バコロドでの、最初の夕食は、屋台連合である。

私が勝手に、付けた名である。

屋台は、沢山あるが、それぞれが時間により、変わる。


朝から昼過ぎまで、そして、昼から夕方まで、そして、夕方から夜、深夜に及ぶ店もある。


それぞれが、上手い具合に、交替する。

ホテルから歩いて、屋台連合に向かう。

さて、どの店にするか・・・


一つ一つの店の前の、焼き物を見て回る。

そして、最後になる。

私達は、最後の店に決めた。

好きなものを、焼いてもらう。


私は、ビールを飲みたくなった。

そんなことは、決してないが・・・旅の間は、アルコールは必要ないのである。

だが、突然、その場の気分で、ビールである。

何十年振りか・・・


すると、枝元君も、付き合うと言う。

二人で、フィリピンビールを飲む。


そして、指定した焼き物を待つ。

私は、魚と豚肉を選んだ。それに、ライスを付ける。

店の人たちは、何かと私達に、気を遣う。

何せ、日本人である。

そんなところに、日本人が来ることはない。


英語が適当に通じるのが、助かる。


周囲は、お祭りのような雰囲気。

いや、私達には、お祭りである。

何となく、楽しい。これが、病みつきになる。


日本では、道路交通法があり、そんな屋台は、特別な日にしか出来ない。

東南アジアを回った私は、多く、その屋台に世話になった。何せ、美味しい、安いからである。


衛生面・・・そんなものは、関係ない。

食あたり程度なら、問題ないのだ。


火を通すものは、大丈夫である。

更に、生野菜も、大丈夫になってきた。それは、水である。野菜を洗う水を、管理された水でするようになった。

その前は、水道の水てあるから、危なかった。


アジアの水道の水は、飲めない。

ただし、カンボジア、プノンペンの一部の水が、飲めるようになった。それは、日本の北九州市の水道局が、技術支援して、出来たものである。


更に、その水が、高い値段で売られている。


そのペットボトルには、日本語で、この水は日本の水道に準じた基準により、作られています、と書かれている。

それが、どのミネラルウォーターより、高いのである。

驚いた。


日本の水道技術提供で、アジアが救われる。

いずれは、フィリピンにもと、願う。


さて、私達は、楽しい食事をした。

周辺の屋台も、客で混雑している。

混然一体となり、何となく、楽しいのである。


もう食べられない程食べて、三人で、300ペソ程度。つまり、700円程度である。有り難い値段である。


初めての二人・・・

何と、楽しんでいるではないか。

辻さんも、枝元君も、何の不思議も、不安も無い様子。私も、安堵した。


これが出来なければ、もう私と一緒に行動できない。

辻さんは、バリ島、タイと一緒に旅したので、大丈夫だったが、枝元君は、初めてである。


食事をしつつも、写真を撮るという。


食事を終えて、ホテルに戻る。その道は、近いのである。しかし、昼間に出とると、迷う。


解っているはずだが、迷うのである。


色々書きたいことがあるが・・・終わらないので、省略する。


翌日、私達は、タクシーで慰霊に向かう。

ホテル前に留まる、タクシードライバーに、話し掛ける。


ロザリオ通りにある、日本兵慰霊碑に行きたい。その後は、海岸に出る。それを英語で言う。

ドライバーは、内容には、納得したが、その慰霊碑のことは、知らない様子。

だが、行くという。そして、メータで行くのかと、尋ねる。オッケーである。


私達は、乗り込んだ。

助手席に私が座った。


ところが・・・

ロザリオ通りがあるが、その慰霊碑の在処が解らない。

車が止まると、降りて、周辺の人に聞く。

更に、移動して、また、聞く。


私の記憶では、街中から、それほど離れた場所ではない。

そして、結果的に、ようやく見つけることが出来た。


その慰霊碑は、目の前の家の人が、手入れをして、いつも綺麗である。更に、その横には、庭が作ってある。

その方は、私を知る。


そこに到着すると、すぐに、そのおじいさんが、出て来た。

そして、遊んでいた、子供たちも。


私達は、まず、慰霊碑に上り、すぐに慰霊の儀を取り行う。

日の丸を掲げて、祈る。


私は、祓い清めの祝詞を唱えた。

これが、慰霊の儀である。

想念を、祓い清めることによって、霊位の浄化を促す。

そして、日本の神々、それぞれの家系の神に、引き上げを願う。

私の力ではない。それは、神々の力である。


日本の祖霊の力である。

その仲立ちをするのみ。


そして、日本人として、ただ、ありがとうございます、と黙祷する。