もののあわれについて943

弱き御心地は、いとど世に立ちとまるべくも覚えず。はづかしげなる人々にはあらねど、思ふらむところの苦しければ、聞かぬ様にて寝給へるを、姫宮、物思ふときのわざと聞きし、うたた寝の御様のいとらうたげにて、かひなを枕にて寝給へるに、御ぐしのたまりたる程など、ありがたく美しげなるを見やりつつ、親のいさめし言の葉も、返す返す思ひいでられ給ひて悲しければ、「罪深かなる底にはよも沈み給はじ。いづこにもいづこにも、おはすらむ方に向かへ給ひてよ。かくいみじくもの思ふ身どもをうち捨て給ひて、夢にだに見え給はぬよ」と思い続け給ふ。





弱い姫宮は、益々、この世に、生き続けられないとも、思わない。気の置ける女房たちではないが、心の中で、何と思うか、それが辛いので、聞かない振りをして寝ていらっしゃる。が、姫宮は、妹宮が物思う時に、するものかと聞く、うたた寝の、お姿がとても可愛く、腕を枕にして寝ていらっしゃるのに、御髪が溜まっているところなど、愛らしいのを見つつ、親の戒めた言葉も、繰り返し繰り返し、思い出され、悲しい。罪深い人の行くところに、まさか落ちていらっしゃるまい。どこでもいいから、お出でになるところに、お迎えください。こんなに酷く、嘆いている二人を、お捨てになって、夢にさえ現れ下さらないこと、と思い続けるのである。






夕暮の空の気色いとすごくしぐれて、木の下吹き払ふ風の音などに、たとへむ方なく、きし方ゆくさき思ひ続けられて、添ひ臥し給へる様、あてに限りなく見え給ふ。白き御ぞに、髪はけづる事もし給はで程へぬれど、迷ふ筋なくうちやられて、日頃に少し青み給へるしも、なまめかしさまなりて、眺めいだし給へるまみ額つきの程も、見知らむ人に見せまほし。





夕暮れの、空の様子は、とても寂しくしぐれて、木の下を吹き抜ける風の音などに、いままで過ごしてきた日々のこと、これからのことが、思い続けられて、寄り臥していらっしゃる様子、気高く限りなく、見える。

白いお召し物に、髪は、梳くこともなく、何日にもなるが、もつれる毛もなく、さらりとして、ここしばらく、少し青白くなったのも、美しさが増して、外に、目を向けていらっしゃる目つき、額の付き具合も、解る人に、見せたいものである。





昼寝の君、風のいと荒きにおどろかされて起き上がり給へり。山吹、薄色など花やかなる色合ひに、御顔はことさらに染め匂はしたらむやうに、いとをかしくはなばなとしていささかもの思ふべき様もし給へらず。中の宮「故宮の夢に見え給ひつる、いと物思したる気色にて、このわたりにこそほのめき給ひつれ」と、語り給へば、いとどしく悲しさ添いて、姫宮「うち給ひて後、いかで夢にも見奉らむ、と思ふを、さらにこそ見奉らね」とて、ふたところながらいみじく泣き給ふ。「このごろ明け暮れ思ひいで奉れば、ほのめきもやおはすらむ。いかで、おはすらむ所に尋ね参らむ。罪深げなる身どもにて」と、後の世をさへ思ひやり給ふ。人の国にありけむ香の煙ぞ、いとえましく思さるる。





昼寝の君、中の宮は、風の音の、荒々しいのに目を覚まし、起き上がられた。山吹色、うす紫などの、華やかな色合いに、お顔は、わざわざぼかしたように、美しく、あでやかで、少しも、物思う人の様子をしている。

中の宮は、亡き宮様が、夢にお見えになり、とても心配そうです。この辺りから、ちらちらお見えになりました。と、お話しされると、更に悲しくなって、姫宮は、お亡くなりになってから、何とか、夢にでも拝見したいと思うのに、まだ一度も、拝見していません。と言って、お二人とものに、酷く泣くのである。

この頃は、明けても暮れても、お慕い申し上げているので、お姿をお見せになったのでしょう。何とかして、お出でになる所に、尋ねて参りたい。罪の深い二人だから、それも。と、あの世のことまで、考える。

唐国にあったという、香の煙りが、とても手に入れたく思うようになる。





いと暗くなる程に、宮より御使あり。折は少し物思ひ慰みぬべし。御方はとみにも見給はず。姫宮「なほ心美しくおいらかなる様に聞こえ給へ。かくてはかなくもなり侍りなば、これよりなごりなき方に、もてなし聞こゆる人もや出でこむ、とうしろめたきを、まれにもこの人の思ひいで聞こえ給はむに、さやうなるあるまじき心つかふ人はえあらじ、と思へば、つらきながらなむ頼まれ侍る」と、聞こえ給へば、中の宮「おくらさむ、と思しけるこそ、いみじく侍れ」と、いよいよ顔を引き入れ給ふ。姫宮「かぎりあれば、かた時もとまらじと思ひしかど、ながらふるわざなりけり、と思ひ侍るぞや。あす知らぬ世の、さすがに嘆かしきも、たがため惜しき命にかは」とて、大殿油参らせ見給ふ。

例のこまやかに書き給ひて、


匂宮

眺むるは 同じ雲居を いかなれば おぼつかなさを そふる時雨ぞ





とっぷりと暮れた頃に、宮様から、お使いが来た。折が折りなので、少し物思いもやすまったことだろう。御方は、すぐに御覧にならない。姫は、矢張り素直に、おおらかな風に、ご返事申し下さい。このまま、私が死んでいまったら、今より、もっと惨めな目に遭わせる男も出てくると、気がかりですが、万が一でも、この方が、思い出して下さるなら、そうした、けしからぬ考えを抱く者は、よもやいまい、と、思うので、辛いとはいうものの、頼りに思っているのです。と、申し上げると、中の宮は、後に残すと思いなのは、酷いことです。と、益々、顔を覆ってしまう。姫は、寿命があるので、一時も、後に残るまいと思ったが、生きながらえて来たのだ。と、思っています。明日も解らぬ世が、そうは言っても、悲しいのも、誰のために惜しい命が、お判りでしょう。と言い、灯台をお召しになって、御覧になる。

お決まりで、こまごまと、お書きになって、


匂宮

心、憧れ、眺めるのは、いつも同じ空なのに、どうして、こうも、恋しさのつのる今日の、時雨なのか。





「かく袖ひづる」などいふこともやありけむ、耳なれにたるを、なほあらじことと見るにつけても、恨めしさ増さり給ふ。さばかり世にありがたき御有様かたちを、いとど、いかで人にめでられむ、と、好ましくえんにもてなし給へば、若き人の心より奉り給はむ、ことわりなり。程ふるにつけても恋しく、さばかりところせきまで契りおき給ひしを、さりとも、いとかくてはやまじ、と思ひなほす心ぞ常に添ひける。使者「御返、今宵参りなむ」と聞こゆれば、これかれそそのかし聞こゆれば、ただ一言なむ、


中の宮

あられ降る 深山の里は 朝夕に 眺むる空も かきくらしつつ





こんなに袖が濡れる、などということでもあったのか。聞き慣れた文句である。お義理だけの、お言葉と見るにつけても、尚更、恨めしくなる。

あれほど、世にまたとない、美男子なのに、何とかして、女に騒がれようかと、格好よく、素晴らしく振舞う様子を見せるので、若い女が心を寄せてても、無理はない。間遠くになるにつけても、恋しく、あれほど大層な、お約束をされたのも、いくら何でも、このままでは、終わらないと、考え直す気持ちに、いつもなるのだった。

お返事は、使者が、今宵いただいて参ります、と申し上げるので、誰もが、お勧め申し上げるので、ただ一言だけ、


中の宮

あられの降る、山深い里では、朝夕に、いつ眺める空も、掻き曇っています。今日だけでは、ございません。