もののあわれについて944

かく言ふは神無月のつごもりなりけり。「月もへだたりぬるよ」と、宮は静心なく思されて、今宵今宵と思しつつ、さはりおほみなる程に、五節などとく出できたる年にて、内わたり今めかしく紛れがちにて、わざともなけれど過ぐい給ふ程に、あさましく待ちどほなり。

はかなく人を見給ふにつけても、さるは御心に離るる折なし。





このことがあったのは、神無月、十月の下旬だった。

行かないまま月も変わってしまう」と、宮は気が気でなく思いなさって、「今夜こそは、今夜こそは」と思いなさりながら、邪魔が入ったりするうちに、五節など、早くある年なので、御所の中は、華やかで、気を取られがちで、わざとではないが、うかうかしているうちに、宇治では、呆れるばかり、待ち遠しい。

かりそめに、女とお会いになるにつけても、何と言っても、宇治の姫は、一時も、お心から、離れないのである。





左の大臣殿のわたりの事、大宮も、「なほさるのどやかなる御後見をまうけ給ひて、そのほかに尋ねまほしく思さるる人あらば、参らせて、おもおもしくもてなし給へ」と聞こえ給へど、匂宮「しばし。さ思う給ふるやうなむ」など聞こえいなび給ひて、まことに辛き目はいかでか見せむ、など思す御心を、知り給はねば、月日に添へて物をのみ思す。中納言も、「見し程よりは、かろびたる御心かな。さりとも、と思ひ聞こえけるもいとほしく」心からおぼえつつ、をさをさ参り給はず。





左大臣殿との、ご縁談は、大宮も、矢張り、そういう落ち着いた正妻をお迎えになり、その他に、いとおしく思う方があるなら、お召しになって、重々しくお振舞なさい。と申し上げるのだが、匂宮は、今、しばらく。少し考えがあって、などと、ご承知申し上げない。

絶対に、辛い目は見せぬ、などと思いの心をご存じないので、月日が経つにつれて、物思いばかりしている。

中納言も、思ったよりは、浮ついたお心だ。いくら何でも、と思い上げていたのも、宇治には、気の毒で、自分のせいと思われて、滅多に、お伺いされないのである。





山里には、いかにいかに、ととぶらひ聞こえ給ふ。この月となりては、「少しよろしくおはす」と聞き給ひけるに、公私物騒がしき頃にて、五六日人も奉れ給はぬに、「いかならむ」とうち驚かれ給ひて、わりなき事のしげさをうち捨てて、まで給ふ。





山里には、いかが、いかが、とお見舞い申し上げる。この月になってからは、少しましでいらっしゃると、お聞きになった。公私共にお忙しい頃で、五、六日、人も差し上げなかったので、どうかしら、と急に、気におなりで、特別な御用繁く、多くを投げ出して、お伺いになる。





修法は、「おこたり果て給ふまで」と宣ひ置きけるを、「よろしくなりにけり」とて、阿闍梨をも返し給ひければ、いと人少なにて、例の、老人いで来て、御有様聞こゆ。弁「そこはかといたき所もなく、おどろおどろしからぬ御なやみに、物をなむさらに聞し召さぬ。もとより人に似給はず、あえかにおはしますうちに、この宮の御事出で来にしのち、いとど物おぼしたるさまにて、はかなき御くだものをだに御覧じ入れざりしつもりにや、あさましく弱くなり給ひて、さらに頼むべくも見え給はず。世に心憂く侍りける身の命の長さにて、かかる事を見奉れば、まづいかでさきだち聞こえむと思う給へ入り侍り」と、言ひもやらず泣くさま、ことわりなり。





修法は、すっかり良くなるまで、と言いつけられていたのに、よくなりました、と言って、阿闍梨まで帰してしまったので、とても、ひっそりとして、いつもの通り、老女が出て来て、ご容態を申し上げる。

どことも、お痛みもなく、大したこともない患いなのに、少しも召し上がりません。もともと、人と違い、お弱いたちでいらっしゃるので、この宮の、御事が始まりましてから、益々、お心を痛めのご様子。少しした果物さえ、見向きもされないせいか、めっきりと、お弱りになり、もう見込みもにいように見えます。本当に、情けないほど長生きをいたしまして、こんなことを、拝するにつけ、まず、何とかしてお先に、死にたいと、願っております。と、言い終わらぬうちに、泣くのである。無理もない。





薫「心憂く。などか、かくとも告げ給はざりける。院にも内にも、あさましく事しげき頃にて、日頃もえお聞こえざりつるおぼつかなさ」とて、ありし方に入り給ふ。御枕がみ近くて物聞こえ給へど、御声も無きやうにて、えいらへ給はず。薫「かく重くなり給ふまで、誰も誰も告げ給はざりけるが、つらく、思ふにかひなきこと」と恨みて、例の、阿闍梨、おほかた世にしるしありと聞こゆる人の限り、あまた請じ給ふ。御修法、読経、明くる日より始めさせ給はむとて、殿人あまた参りつどひ、上下の人立ち騒ぎたれば、心細さの名残なく、頼もしげなり。





薫は、心外な。どうして、こうと知らせなかったのか。院にも御所にも、一杯に御用が詰まっている頃で、ここ数日も、お見舞い申し上げなかった気がかりさ、と言って、この前の所にお入りになる。

御枕元の近くで、お話し申し上げるが、お声も出ない様子で、お答えにならない。薫は、こんなに重くなるまで、どなたにも知らせずにいらしたのか。辛く、気にかけがいのないこと。と恨んで、例によって、阿闍梨、その他の世間に、効き目のあるといわれている人ばかり、大勢お招きになる。

御修法、読経、明日から始めると言う事で、家来が大勢参集し、上の者も、下の者も、大騒ぎなので、心細かったのも、嘘のようで、気丈夫になった。