性について295

ホモセクシャリティが普遍的であると主張することはきわめて難しく、そのような立場を私は支持しない。

いかなる時代や場所についてであれ、ある一つの特質や一般的特徴を、心身の生得的要因や自然的要因を用いて説明付けようとという理論に、人類学者は通常反対する立場をとる。

人類の順応を助ける重要な特質としての文化があるからこそ、新たな行動を学習する能力が生まれ、より広範囲な生態系への適応に成功できるのである。

生物学的な影響力は文化や人類学とセクシャリティの歴史に優先するものであり、それらを凌ぐと言った概念は、のちに誇張か誤謬と判明した進化モデルや、疑似進化論的な仮説へとつながる思想に満ちている。

ギルバート


つまり、それぞれの場に置いての、ホモセクシャリティが、同じ概念で、語れないということである。


ホモセクシャリティの普遍的原因として主張されたものが、理論上や手法上、あるいはデータ上、誤りであることは性調査の歴史によって繰り返し示されてきた。

ギルバート


19世紀では、人種による、知性の差異が、通常、生物学的差にあると、説明された。


だが、1920年代、有意義な諸研究を経て、漸く科学者は、そのような相違点を説明するものとして、環境的要因が、他の内因的モデルより、有効であることを見出した。


このような、生物学主義には、性的欲望を生物学に、そして、文化を異なる進化の残留物、無用なお飾りにする傾向があった。


進化論などは、ホモセクシャリティを、生物学上の変種、異常、そして、それを輩出した民族に、利益をもたらす適応策としか、見なさなかった。


つまり、まともに、性的欲望を解決出来なかったのである。


ホモセクシャリティを、異常などとして、判定すれば、それで事足りたのである。


普遍的な性衝動が人間の発達と社会を左右するといった発想は、実際の社会的役割やアイデンティティより異性愛と生殖を優先させるため、特に問題をはらんでいる。だが、人口過剰問題につながるため、全世界の人口すべてが生殖活動に取り組む必要はなく、とりわけ発展途上国ではそれが望まれれていないことは明らかだ。・・・

ギルバート


ロシアでは、ホモセクシャリティを認めないその一つに、人口が減るという、恐ろしい蒙昧な発言をしていた。


同性愛が広がると、人口が減少するという、呆れた、言い分は、何の根拠にもならない。

あれほど、同性愛が盛んな、西欧諸国で、人口が減少しただろうか。


したがって、ホモセクシャリティに関する理論はすべて、個人の生活史に見られる性のヴァリエーションを、そして社会内部や社会の枠を超えた様々な性のあり方を説明するものでなければならない。

ホモセクシャリティに関する還元主義的生物学理論が、人間のセクシャリティを説明するものとして不適切であることは周知の事実である。

一人ひとりの人間は、どれほど異なる欲望を持つ場合であれ、また存在のありようがいかなる場合であれ、集団に順応し適合しなければならない。それは、個人の発達と文化的役割の相互作用が常に、セクシャリティ全般を理解する際の、最も目を引く立脚点となることを示唆している。

ギルバート 改行は私


とても、よく示唆している、文である。


簡単に言う。

ホモセクシャリティの、迫害、自由の現状を理解することは、つまり、人生の、あらゆる問題に光を当てることになる、ということだ。


このような研究が、未来に新しい光を与える。

もう、そんなことは、どうでも、いいことであるとの、意識を持てば、いいのである。


同性愛を周囲に、知られて、自殺したというような、馬鹿馬鹿しい、話は、聞きたくないのである。


飛躍する言い方だが、人は、生きられるようにしか、生きられない。

その、様々な、生き方を、容認すること。

自由とは、それで、ある。


人の自由を、容認することが、自分の自由を、得ることになるという、当たり前のことである。


言論の自由を守るためには、異なる意見も、その意見の発言の自由を認めるという、精神である。


個人の欲望に関する、自分たちの文化通念、信念に疑問を持つことである。


つまり、それは、

古代ギリシャ人はホモセクシャアルではなく、少年を愛人とするアザンデ族の戦士はゲイではない。そしてニューギニアのサンビア族はそのどちらでもなく、そういうアイデンティティを持っているわけでもない。そういった概念を「輸出」し、他の文化に押し付けることは、旧弊な植民地主義の一種にすぎない。

ギルバート


と、いうことだ。


それぞれの、地域での、欲望の形、性的形相は、例えば、西欧のゲイという概念ではないのであると、いうこだ。


それは、また、個々人の考える、ゲイに対する、イメージ、考え方を、押し付けてはならない、ということである。


全く、違うものかもしれないのである。


低レベルの話にすると、ゲイセックスが、アナルセックスであると、考える馬鹿には、何も、解らないのである。


男と女でも、セックスが、性器の結合としか、考えられない、イメージの浅い性的能力のない人には、解らないのである。


人間は、他の動物とは、違う。

大脳化により、動物から、隔絶したのである。


それを、本能が壊れた動物と、判定する、心理学者もいる。

私も、本能が壊れた動物が、人間であると、言う。


その幻想、妄想は、計り知れない。

そして、性と言う欲望も、幻想、妄想の世界である。


つまり、セックスとは、イメージに他ならないと言う。