性について296

それでは、ここから、ギルバート・ハートの、同性愛のカルチャー研究、から、非西欧文化における、セイム・ジェンダー関係を、見る。


非西欧社会は多様性に富み、そこには様々な性のヴァリエーションが存在するが、セイム・ジェンダー関の制度化された性関係は一般的なものではない。時代や地域を問わず、同性に欲望を抱く個人は存在するが、文化的に制度化されたホモエロティック関係は普遍的なものではないのである。

ギルバート


ホモエロティック関係は、地域共同体固有の、特徴や意味、そして社会の歴史における、そのコミュニティの位置付けを反映する。


つまり、同性間の関係を構造化する、文化制度は、世界の特定文化領域の、ある古代社会や、親族関係によって、支配された社会のみに、存在してきたと、言われる。


そして、伝統的な同性間の性習慣を文化的に、制度化することは、ホモエロテックな欲望、その実践が、是認された性の生活様式の一部になることを意味する。


その生活様式は、社会全体の、親族関係や社会関係の特徴を反映している。


そこにおける、ゲイ・レズビアン研究では、結婚、育児、家族、宗教、政治、その他重要な制度を含む、総体的の文化の型を、切り離して、考えることは出来ないのである。


だが、欧米の研究は、文化の基本構造を無視し、社会的、精神的、政治的要素、他の要素を考慮せずに、彼らの生活全般を、性行為、ホモセクシャリティ、のみに、還元する傾向がある。


ギルバートは、

同性に対する欲望は、三種類の異なる方法で、構造化されていると、言う。


具体的には、無文字社会及び、古代社会、そして、伝統に根強く支配された部族文化、例えば、ニューギニア、アジア、その他の地域の形態について・・・


三つの形態とは、年齢を基準とするもの。

ジェンダー転換を基盤とするもの。

特殊な社会的役割や習慣を基盤とするもの。


それらは、いずれも、複雑な成立経緯を持つという意味では、近代以後のホモセクシャリティや、パートナー同士の対等な関係を意味する、現代の平等主義的な、ゲイ・レズビアン役割と、大きな相違はない。


あらゆる種類の社会的習慣は結合や借用、再結合、拒絶といった過程を経て、最終的には他のタイプと相似形でありつつも、異なる経緯を有する象徴的形態へと変容を遂げる可能性があるのだ。それこそ文化が文化たる所以である。

ギルバート


世界には、多様なホモエロテック系が、存在する。

簡単に言えば、それが、ゲイとか、ホモと見なされない場合も、多々あるということだ。


伝統や、習慣になっていることもある。


さて、中でも、年齢に基づく規範によって支配された関係、年齢グレード型集団の、あるいは、世代構造に従った習慣から確立された関係は、最も、歴史が古く、広範囲に分布する。


対象年齢は、文化によってさまざまであり、最も、年少期の半ばに始まり、それは、七歳以上から、年長の例では、成年後期から、成人初期にまで及ぶ。


一つの例は、パプアニューギニアの、ザンビア族では、年齢構造化された関係は、少年の年が、七歳から十歳の間に始まる。


少年たちは、集団でイニシエーション儀礼を経験し、その習慣を規定し、長年維持してきた男たちの、秘密結社の一員となる。


そうした関係における、役割も、それぞれの集団の経済、社会構造、権力に対する考え方、社会のヒエラルキーによって、異なるのである。


古代社会を含め、偉大な文明世界には、年齢に基づく、性交換システム、及び、優劣関係のシステムが一般的なものとして、存在していた。


具体例としては、ホメロスのギリシャ時代、古代中国、古代朝鮮、そして、後世の封建時代の日本の、年齢構造化された、セイム・ジェンダー関係を挙げることが出来る。


男性としての旺盛な体力や名誉をはじめ、そのパートナーの教育や名声、男性性を基礎とする性関係の社会的エコノミーを介して常に促進され、高められていた。そういった社会では一方で結婚し親になることが求められるが、他方では情熱的かつ友愛的な年少者との関係が求められた。

ギルバート


古代ギリシャ時代初期には、戦士の生活様式や、その粗削りな男らしさを、教え込むために、少年に精液を与える習慣があった。

後の、ホメロス時代のギリシャにおける、戦士集団から、哲学者集団への文化的変容は、神話的な要素が強くなった。


後に、多くのインド、ヨーロッパ語族の伝統的社会では、例えば、チュートン人の部族、バルカン山脈地帯の、現在のアルバニア周辺に見られた、年齢構造化された関係は、古典、神話上の同性愛をそのまま継承していたという。


前近代期の社会では、男性同士の世代間の関係が、社会的に、その存在を認知されていた。

それは、少年の女性化や、名誉失墜を招くことなく、成人男性のジェンダーに関わる地位が、危機に晒されることもなかったのである。


ただし、能動、受動という、二分法の逆転が、起こらないことが条件だった。


そして、数世紀を経た、ルネサンス期には、古典からヒントを得て、少年愛という、神話上の観念を取り上げた、詩が作られるようになる。


ルネサンス期の著述家は、男性間の性的欲望やロマンス、とりわけ、宮廷社会で、寵愛を受けていた美しい若者に対する、それを容認していたのである。


そのような文化的概念が実在したことを示す、有力な根拠として、中世のイタリアが挙げられる。


当時のイタリア人の男の、三分の一は、少年とのソドミー、アナルセックスに耽っていた。

そして、今日でも、年齢差を基盤とする、同性愛の社会的正当性を主張する際には、古代社会の伝統が例として挙げられている。


何せ、その中世のカトリック修道会の、修道士たちは、同性愛を堂々と行為していたのである。


それが、突然、同性愛を禁止するということになった過程にあるものは、いずれ書くことにする。