玉砕257

アメリカが、無知で傲慢で残虐な国、ということで、マックスの著書から、紹介している。


次に、

日本軍の残虐を示すものとして、南京事件が取り上げられることがある。「南京事件を知っているか」と訊かれたら、アメリカ人は「知るっている」と答えるだろう。しかし、詳しくわかっているわけではない。アメリカ人が知っているのは「日本が残酷で悪い」ということぐらいだ。

マックス


最初に、南京事件を書いたのは、ハロルド・ティンパーリというオーストラリア人である。

1938年に、「戦争とは何か」によって、南京事件は世界中に広まった。


だが、この人物は、国民党の宣伝機関の支部責任者をしていた。更に、国民党から金を貰い、蒋介石の意を汲み、反日プロパガンダのために、その著書を出したのである。


この資料が、台北で出たことにより、日本でも、知られるようになった。


では、事実はどうであったのか。日本軍として組織的にとしてではなく、個々のレベルで事件はあったかもしれない。「戦場の情熱」と私は表現するが、平和な時代では判断できない状況が戦争のなかで生じるものだからである。

マックス


以下、マックスの説明を、私なりに書く。


日本軍が、南京に入城した時、日本軍の憲兵は、17人である。

憲兵の数が少なければ、管理が行き届かなかったことは、想像できる。


しかし、その後、松井石根将軍は、憲兵の数を増やして、軍律を護る処置を講じている。

南京の後に攻撃した漢口で、民間人に対する、殺人や強姦などの事件は無い。

軍隊に規律を戻した、松井将軍を犯罪者とは、言えない。


また、論理的に考えると、南京事件で「戦争犯罪」はなかった。なぜならば、南京での犯罪は計画がなかったからだ。松井将軍が南京を攻撃するときに強姦、強盗をしろという命令を出していない。外国人は日本が悪と見せたいからこういう点を無視し、日本は酷いと攻撃するのである。

マックス


この問題は、以前も取り上げた。

私は、多くの外国人が、南京事件は無かったと言う、証言を多く取り上げている。


実際、無知で、傲慢で、残虐な国は、アメリカだけではない。

すべての、キリスト教白人の国が、そうである。


一方、戦争末期にアメリカが行った日本への空爆、日本各地の都市で民間人を巻き込んだ無差別爆撃は戦争犯罪だ。

マックス


アメリカ人が、言うのである。


終戦に近い時期は、アメリカ海軍の潜水艦が日本の貨物船を数多く沈没させていた。日本の貨物船が八割、米海軍の潜水艦で撃沈され、多くの資源が日本列島の工場に届かなかった。当然、日本の工場はほとんど機能していない。「軍需工場を潰すことで戦争遂行能力を奪う」ことが目的ならば、空襲は必要がなかった。

マックス


中でも、1945年、3月10日の、東京大空襲、つまり、大虐殺で標的となった墨田区は、大きな工場がそれほどなかった。

最初の爆撃で、アメリカ軍は、火の壁を作っている。これは、逃げられないように、囲い込んだのである。


つまり、日本国民の、殺戮が、目的だったのだ。


カリフォルニアの砂漠に、日本の町に当たる家屋と同じ材料で、日本家屋の町の模型を作り、爆弾を落として、破壊度、影響を調べたのである。


そうであるならば、明らかにジェノサイドであり、非戦闘員を殺したという点で戦争犯罪である。「空襲は国民の戦意を喪失させる意味もあった」とする向きもあるが、民間人と子供を殺すのだからジェノサイドであることに変わりない。

マックス


「なぜ戦うのか」というプロパガンダ映画では、上海空襲後の焦土で赤ん坊が泣いている写真を映し出す。そしてコメンテーターが、「日本軍が女性と子供を殺した」と語り、道徳的な言葉を使って日本を非難する。ところが、アメリカが日本の都市を空襲して約150万人の非戦闘員を殺したことは問題にしないのである。その事実をごまかすためにも、日本軍は残酷な戦争犯罪を犯していなければならないのだ。

マックス


キリスト教白人たちは、皆、同じである。

実に、恐ろしい。


あの、オバマ大統領は、ノーベル平和賞を受けたが、ドローンで、どほどの殺人を犯したか・・・


日本人とアメリカ人が同じ残酷なことをやった場合、アメリカ人は「日本人がやると残酷だ。アメリカ人がやると正義だ」と考える。同時に、自分の行為に非があると思わず、同じことをやられると相手の非を激しく非難する傾向が強い。アメリカ人の怖い一面である。

マックス


アメリカ人だけでは、ない。

キリスト教白人の諸国、その民族が、そうなのである。

特に、イギリスという最低最悪な国は、どれほど、残酷で、残忍だったか、計り知れないのである。


勿論、スペイン、オランダ、ベルギー、ドイツ、フランス、イタリア等々。

その、植民地支配を見ると、愕然とする。


同じ、植民地支配と言っても、日本のそれとは、その概念が違う。

日本の場合は、植民地支配は、拓殖である。


拓殖とは、ライフラインを整え、学校、病院、その他の建物を作り、皆々に、平等に、教育を受けさせるのである。


更に、生きるための、術を教えた。


フィリピン人の証言である。

アメリカは、えんぴつをくれた。

日本は、えんぴつの、作り方を教えてくれた。


全く、その様は、別物である。


私が、パプアニューギニアに追悼慰霊に出掛けた、ラバウルでは、白人は、奪ってゆく、だが、日本はいつも、与えてくれた、と言うのである。


その地を、戦場にした、日本軍を憎んでいないのである。