六十を過ぎてから、変わったことがある。
勿論、今までも、感謝の心というものを、持っていたが、更に、その感情が、変わった。
朝、目覚めると、生きていたと、感謝する。
それは、夜中に、トイレに起きる際も、そうである。
生きていると。
何せ、生きていることが、奇跡なので、毎日、奇跡を生きている。
感謝である。
そして、朝の食事をする。
私は、大半が、手作りである。
食べる物を、選べると言う、喜びである。
15カ国に出掛けて、それは、勿論、貧しい国である。
太平洋の島国、東南アジア・・・
食べる物が無い人たちを見た。
チルドレンを見た。
選べるような状況ではない、人たち。それを思えば、自然に感謝の気持ちが湧く。
食べながら、ただ、感謝なのである。
有り難い・・・ありがたい・・・
何も、特別なものを、食べるのではない。
好きなものは、豆腐、納豆、野菜、味噌汁など。
魚は、北海道の北の町の実家から、送られてくる。
魚の煮物、焼き物、刺身と、自分で作る。
ただし、新鮮なものは、嫌いだ。
何故か・・・子供の頃、新鮮なものばかりを食べて育ったからである。
もう、飽きた。
さて、肉は、時々、食べる程度である。
あまり好きではない。
ステーキなどは、嫌いな方である。
豚肉の料理をする。
鶏肉の料理をする。
そして、それらが、殺されるのを、アジアの各地で見た。
ベトナムのハノイでは、食堂の裏が、豚小屋であり、殺して、即座に料理するのを見て、絶句した。
殺される前の豚は、それを知る。だから、目を付けられた豚は、必死に逃げ惑う。でも、殺される。
こうして、人は、命を食べて、生きている。
もう、殺されて、食べられる立場なら・・・と、考えると、感謝以外にない。
一日、二食である。
それは、酒を飲むために、である。
食べると、酒が飲めなくなる。
だから、空腹にする。
それを、空酒といい、体に悪いと言うが、そんなことは、無い。
死ぬことが、当たり前なので、体に悪いことなにど、私には、何一つない。
生きている、ということの、感謝は、尽きない。
小便が出る。感謝である。
もし、出なければ、死ぬ。尿毒症という。
大便が出る。感謝である。
もし、出なければ、大腸がんになる。
だから、感謝なのである。
一日、感謝ばかりをしている。
本が読める。文が書ける。歩ける。走れる。目が見える。耳が聞こえる。
奇跡だ。
私の母の兄が死んだ。88歳である。
突然、苦しみ、病院に運ばれた。
腸に穴が開いて、手術をしなければ、二、三時間で死ぬとの、宣告である。
その兄は、どうしたか・・・
もういい、死ぬと、手術を拒否した。
それを聞いて、私は、感謝した。
自分の死期を、自分で決められたということに、感謝した。
見事だと、おじさんを見直した。
だから、母には、あんたも、同じように、死期を悟ったら、死ぬことだと、言った。
無暗に生きるな。そうすれば、生きていることに、感謝する。
私は、葬式はするが、葬式には、出ない。
父の時も、妹と時も、葬式の日は、海外にいた。当然、出られるはずがない。
だが、本当は、母の葬式も、出たくない。
死体は、モノである。
私は、霊位を相手にする、慰霊師である。
これが、本音で、母には、冬なら、葬式には行かないと言っている。すると、母は、出来れば、六月ころに死ぬように、心掛けるという。
まあ、六月ころなら、食べ物も、旨いし、いいかと思っている。
これは、親不孝か・・・
そんなことはない。
身内は、私が葬式など、公の場に出る事を、嫌う。
何故か・・・
ロクなことを言わないからだ。
僧侶に文句を言うだろう・・・
そして、葬式は、長男だから、きっと、歌でも歌うと思っている。
そう、私は、母の葬式に出たら、岸壁の母、を歌うと言ってある。
着物は、振袖を男仕立てにしたものを、着ると。
ああ、感謝である。
親の葬式に出るという、感謝。
兎に角、何にせよ、感謝につきない。
毎日、二合の酒が飲める。感謝である。
太陽が、私のために、昇る。感謝である。