日々の言い分330

六十を過ぎてから、変わったことがある。

勿論、今までも、感謝の心というものを、持っていたが、更に、その感情が、変わった。


朝、目覚めると、生きていたと、感謝する。

それは、夜中に、トイレに起きる際も、そうである。

生きていると。


何せ、生きていることが、奇跡なので、毎日、奇跡を生きている。

感謝である。


そして、朝の食事をする。

私は、大半が、手作りである。


食べる物を、選べると言う、喜びである。

15カ国に出掛けて、それは、勿論、貧しい国である。


太平洋の島国、東南アジア・・・

食べる物が無い人たちを見た。

チルドレンを見た。

選べるような状況ではない、人たち。それを思えば、自然に感謝の気持ちが湧く。


食べながら、ただ、感謝なのである。

有り難い・・・ありがたい・・・


何も、特別なものを、食べるのではない。

好きなものは、豆腐、納豆、野菜、味噌汁など。

魚は、北海道の北の町の実家から、送られてくる。


魚の煮物、焼き物、刺身と、自分で作る。

ただし、新鮮なものは、嫌いだ。

何故か・・・子供の頃、新鮮なものばかりを食べて育ったからである。

もう、飽きた。


さて、肉は、時々、食べる程度である。

あまり好きではない。

ステーキなどは、嫌いな方である。


豚肉の料理をする。

鶏肉の料理をする。


そして、それらが、殺されるのを、アジアの各地で見た。

ベトナムのハノイでは、食堂の裏が、豚小屋であり、殺して、即座に料理するのを見て、絶句した。


殺される前の豚は、それを知る。だから、目を付けられた豚は、必死に逃げ惑う。でも、殺される。


こうして、人は、命を食べて、生きている。

もう、殺されて、食べられる立場なら・・・と、考えると、感謝以外にない。


一日、二食である。

それは、酒を飲むために、である。

食べると、酒が飲めなくなる。

だから、空腹にする。


それを、空酒といい、体に悪いと言うが、そんなことは、無い。

死ぬことが、当たり前なので、体に悪いことなにど、私には、何一つない。


生きている、ということの、感謝は、尽きない。


小便が出る。感謝である。

もし、出なければ、死ぬ。尿毒症という。

大便が出る。感謝である。


もし、出なければ、大腸がんになる。

だから、感謝なのである。


一日、感謝ばかりをしている。


本が読める。文が書ける。歩ける。走れる。目が見える。耳が聞こえる。

奇跡だ。


私の母の兄が死んだ。88歳である。

突然、苦しみ、病院に運ばれた。

腸に穴が開いて、手術をしなければ、二、三時間で死ぬとの、宣告である。


その兄は、どうしたか・・・

もういい、死ぬと、手術を拒否した。

それを聞いて、私は、感謝した。

自分の死期を、自分で決められたということに、感謝した。


見事だと、おじさんを見直した。

だから、母には、あんたも、同じように、死期を悟ったら、死ぬことだと、言った。


無暗に生きるな。そうすれば、生きていることに、感謝する。


私は、葬式はするが、葬式には、出ない。

父の時も、妹と時も、葬式の日は、海外にいた。当然、出られるはずがない。

だが、本当は、母の葬式も、出たくない。


死体は、モノである。

私は、霊位を相手にする、慰霊師である。


これが、本音で、母には、冬なら、葬式には行かないと言っている。すると、母は、出来れば、六月ころに死ぬように、心掛けるという。

まあ、六月ころなら、食べ物も、旨いし、いいかと思っている。


これは、親不孝か・・・

そんなことはない。


身内は、私が葬式など、公の場に出る事を、嫌う。

何故か・・・

ロクなことを言わないからだ。


僧侶に文句を言うだろう・・・

そして、葬式は、長男だから、きっと、歌でも歌うと思っている。

そう、私は、母の葬式に出たら、岸壁の母、を歌うと言ってある。


着物は、振袖を男仕立てにしたものを、着ると。


ああ、感謝である。

親の葬式に出るという、感謝。

兎に角、何にせよ、感謝につきない。


毎日、二合の酒が飲める。感謝である。

太陽が、私のために、昇る。感謝である。