神仏は妄想である544

日本人の、仏教受容について考察する場合、山岳信仰、他界=浄土観、遺骨信仰についてを、前提にする。


更に、平安期の最澄、空海の、仏教思想も、歴史的には、三つの要件によって、限定され、変容していった。

その結果、天台宗が教団的な基礎を固め、真言密教が民衆の間に、勢力を伸ばしていった。


また、同様に、鎌倉仏教の、法然、親鸞、道元、日蓮などの思想も、その三つの要件を抜きにしては、その後の、歴史的展開においても、民衆の間に広がる事はなかった。


日本には、思想、哲学が無いと言われるが、違う。

仏教という思想を通して、哲学、思想が出来上がっていたのである。


宗教学ではない。思想である。

ただし、それは、中国仏教によると、明確にしておく。


あくまでも、漢語による、仏典解釈と、中国仏教からの、思想である。


周知のように空海の密教は、それ自体の姿において理解され受けつがれていったのではない。それは何よりも弘法大師信仰という、空海に対する後世の神話化をとおして受容されていったのである。

山折


同様に、最澄の仏教に対しても、その本来の価値や、システムを正統に理解するものの数は、限られていた。

それが、一般に知られるようになったのは、第一に、天台宗の密教化、そして、比叡山天台宗の母胎にして、後世、多くの宗教運動が発生したことである。


それでは、鎌倉仏教というと、矢張り、そのままの形では、民衆に伝わらなかったと言える。


鎌倉仏教の指導的仏教者たちの思想や信仰が、伝統仏教の停滞や世俗化を批判する「宗教改革的」な洞察を備えていたことはいまさらいうまでもない。しかしそのような批判や洞察を真に理解していたのは、かれらの周辺に集まるひと握りの弟子やエリートたちであった。

山折


そして、それらの運動は、時の権力者、つまり、信長のような、権利により、弾圧され、壊滅に追い込まれたのである。


念仏運動が、一向一揆という形を取り、民衆に支持されるようになるのは、十五世紀の、蓮如以降のことである。


そして、道元、日蓮の教団的発展も、ほぼ同じ頃である。


つまり、歴史的反省としては、鎌倉仏教が民衆化したのは、後々のことであり、当時は、それほどの力を持たなかったということである。


過大評価し過ぎたと、言える。


それよりも、評価すべきは、外来宗教としての仏教と、山岳信仰との融合、そして、その結果としての、山中浄土観、遺骨信仰の形成というものが、重要なのである。


二つの流れとして、考えるといいのである。

天台からの、エリート仏教と、自覚的、自立的なものではない、伏線のような、民衆による、信仰の流れである。


それが、やがて、法然、親鸞、道元、日蓮などの、大衆化になる。


簡単に言う。

浄土教の民衆化、禅宗や法華経信仰の、大衆化の時代が到来したのは、十五、六世紀であり、その頃になると、宗祖のカリスマ性は、本来の象徴的な意味を失う方向に向かうのである。


ある歴史学者に言わせると、日本における、伝統宗教は、神道と仏教、そして民俗宗教を加えた、三者が相互に影響して、発展したということである。


それが、一つの宗教の形で、民衆に普及、定着したのは、十五、六世紀、室町、戦国時代ということになる。


神道と仏教、神仏混合が、国民的宗教となった。


こうして、歴史は、様々な要因を含み、うねりのように、発展し、それが大きな流れになる。


私の言葉にすれば、妄想の歴史である。


神仏を置くという、妄想の歴史である。


そして、すでに、その頃には、仏教の堕落は、甚だしいものになっていた。

勿論、神道も、神社神道と呼ばれる、堕落の一途を始めた。


豊臣秀吉が、天下統一を成し遂げ、江戸幕府が出来て、強大な権力を握り、統一国家が形成された。


その頃から、国民というべき、存在が出来上がったと見る。


そして、仏教が、葬式を行うという、習慣が出来上がる。

これで、仏教というものが、消滅した。


現在、見ての通りの、葬式仏教の、最初である。


その儀礼により、家と菩提寺と言われる、寺の関係が、檀家制となる。

特に、キリシタン禁制のゆえに、江戸幕府三代将軍、家光により、檀家制度が、確定する。


神道もまた、皇室における、伊勢神宮、徳川家における、日光東照宮と同じく、庶民も、それぞれの場で、中心をなす神社を持って、氏神として、先祖神として、身分を超えた、普遍的なものになってゆく。


山折氏は、

すなわち仏教が主として個人としての死者に深く関係していたのにたいし、神信仰が家=結合としての地域社会にかかわっていたという・・・

との、ことである。


再度言うが、山岳信仰と、浄土観、遺骨信仰という、三つが、ポイントである。


それらが、組み合わさり、神仏混合という、日本人の宗教観を作り上げたのである。


現在の寺院、寺というものが、十六、七世紀に、数多く造られた。

それは、葬式を司る菩提寺として機能し、死者の墓を併設するようになった。


つまり、寺の創設が、そのまま墓の成立を促した。

そして、先祖供養という、大嘘の仏教の教えが、語られるようになるのである。


ここで、少し横道に入るが・・・


彼らの言う、先祖供養とは、何かと言う。

先祖とは、アフリカの人類まで辿る、先祖なのか、一体、どのあたりの先祖までを言うのか、疑問である。


はっきり言うが、先祖というものは、おおよそ、三代前程度の意識であろう。

そして、血縁の先祖のことならば、大嘘である。

肉体先祖も、大嘘。


どこで、別の血が入ったのか、誰も解らないのである。

先祖という、定義を置かない、日本仏教愛好者の会である。