ローマ教皇ニコラウス5世(1447〜1455)が、1448年に設立したヴァチカン図書館は人類の知の遺産である。
ヴァチカン図書館の地下には門外不出の貴重な史料が厳重に保管されており、出入りの記録が毎回とられる。
10万冊を超える古文書、60万冊の印刷本、40万個のコインやメダル、絵画や写真など世界中から収集された膨大な文献を擁する。
果てしなく奥まで続くような書庫に一瞬息を飲み込み、荘厳さと歴史の重みに圧倒される。
デジタルアーカイブス
ヴァチカン図書館は、史料を後生に残すための手段として「ヴァチカン教皇庁図書館デジタルアーカイブス事業」を2014年から開始。
劣化が進むと解読ができなくなる手書きの文献をデジタル化するためだ。
日本企業の「NTTデータ」が技術的な側面から参画し、約3000冊の文献を4年間でデジタル化。いずれは約8万冊あるすべての手書き文献を、デジタル化する壮大な取り組みである。
その成果は、Digital Vaticanaで公開されつつある。
上記の書き込みから言う。
カトリックは、諸悪の根源である。
その威力は、大航海時代、500年に渡り、示された。
まず、人種差別の思想を推し進めた。そして、キリスト教白人の、植民地政策である。
原住民を虐殺しても、司祭が、それを神の名において許すという、蒙昧である。
呆れる程に、人殺しをした。
そのカトリックは、世界の情報の泉であるという。
今更・・・
しかし、是非、その情報を公開して、彼らが何を行ったのかを、問うべきである。
そして、謝罪と、反省を求める。
現在も、罪を犯し続ける、キリスト教白人たち。
それも、騙しの手を使い、資源の争奪を行う。
決して、自由と平等の思想などない。
色付き人間は、今も、動物と同じであると、思う、その心。
つける薬がないのである。
更に、準じて、一神教は、世界で、様々な罪を犯してきた。
要するに、排他的で非寛容なのである。
すると、日本の神道と比べると、それらは、まさに、宗教である。
神道は、宗教ではない。
日本の伝統である。
宗教の概念は、キリスト教から出た。勿論、最高の宗教が、キリスト教である。呆れる。
日本人は、信仰心など必要ない。
その所作により、伝統行為である、自然崇敬を行う。そして、祖霊崇敬である。更に、そこには、寛容と、他を区別するものがない。
つまり、これからの世界は、神道的発想により、平和を享受できると言うことだ。
宗教の必要のない、世界観である。
ちなみに、宗教は、レリジョンという英語である。それは、ラテン語、レリギオから出た。その類語の、レリガール、neligaraは、縛る、束縛するという意味である。
その通り、宗教とは、束縛することである。
それは、排他的で、非寛容である。
私は、受け入れることが出来ない。
別エッセイ、神仏は妄想である、を参照ください。