仏陀が否定した、葬式と遺骨信仰である。
その様が、今のインドで、見られる。
山折氏の、日本人の生死観に、インドの都市ベナレスに行き、その死者の扱いの様を描いている。
そこから、省略しつつ、紹介する。
だいたい死者を焼く場所というのは、都市の周辺地域にあるのが普通です。ヨーロッパももちろんそうですし、我が国でもそうです。インドのほかの都市でもだいたいそうなっている。それがいったいなぜ、ベナレスでは死体を焼却する場所が都市のど真ん中にあるのか。これが一つの謎でした。
山折
その死体焼却場の周囲に、「死を迎えるための家」が二十軒ほど建てられている。
コンクリートの石造りである。
シャーンティ・バワンとも、ムクティ・バワンともいわれる。
シャーンティというのは、平和、あるいは、沈黙という意味である。
バワンは、家。つまり、平和の家である。
ムクティは、解脱という意味で、解脱するための家、という意味になる。
ガンジス河の中流域にある、ナレスという聖地には、二つの種類の巡礼がやって来る。
一つは、最大の聖地ゆえに、インド全土から、お詣りに来る。
そして、もう一つは、死ぬために、である。
ベナレスは、ガンジス河の西側に、半円状に発展した都市である。
反対側の東側は、不毛の地となっている。
聖地は、西側だけに発展している。
インドの人々は、事情が許せば、そのベナレスの半円状に発展した都市の中で、死にたいとの願望を持つらしい。
そこで死ぬことが出来れば、必ず昇天すると信じる。
ところが、反対側の不毛の地で死ぬと、ロバに生まれ変わるという。
さて、その西側の都市の、中心部分に死体焼却場がある。
その死体焼却場を、取り巻くように、半円状に建てられているのが、ヒンドゥー寺院であり、一番、勢力がある。
都市の中心に、密集している。
そして、それを取り巻くようにして、イスラム教の地域、更に、その外には、キリスト教の世界である。
実に、面白い光景である。
そして、その半円状の地域に、七つの巡礼路がある。
ヒンドゥー教の聖地、イスラム教の聖地、様々な聖地がある。
多くは、インド全土からやって来る、ヒンドゥー教徒たちである。
さて、一番紹介したいのは、死ぬために、やって来る人たちの様子である。
山折氏が、目撃した、死ぬためにやって来た人たちの様子を紹介する。
南インドからやって来たと言う、70歳の女性と、その家族である。
ご本人と、そのご主人と、弟の三名。
皆、お年寄りだ。
ゴザが敷かれ、簡単な炊事道具が並べてある。
ガス、水道は、無い。
真ん中に布団が敷かれ、病人が横たわる。
その傍に、弟とご主人が座り、黙って手を握っている。
医者に見放され、「もう、この上は、ベナレスに行きなさい」と言われて、やって来たのである。
インドの人たちは、旅をする際には、炊事道具を背負って旅をする。
だから、何処でも、泊まることが出来る。
そういう旅の仕方をするので、平和の家では、炊事道具、寝具の用意は一切ないのである。
それは、各自が用意すると、決まっている。
ここでの、滞在期間は、平均して、二週間程度である。
長い方で、三週間である。
医者は、出入りしない。
更には、看護師や、宗教家も入らないのである。
ただ、家族だけが、最後の時間を一緒に過ごす。
話などはせず、ただ、黙って手を握り、体をさする。
沈黙のセラピーと、山折氏が言う。
さまに、ターミナルケアの伝統である。
そのことだけを見ますと、非常に寂しい光景に映ります。建物は必ずしも立派ではないし、かならずしも衛生的でもありません。部屋には真ん中に裸電球が一つついていているだけで、暗いところです。周辺の部屋にも、やはり同じような人びとが寂しそうな顔をして座っている。ほとんど会話らしい会話は聞こえてきません。外から見ると確かにそうです。しかし、それは表面的なことかもしれない、とすぐ反省しました。
山折
そこには、信仰があると、言う。
その信仰を絆にして、死にゆく人と、看取る人との間に、口では表現できない強力な、連帯感がある。
そして、そのすぐ近くに、死体焼却場があるのだ。
ベナレスの死体焼却場は、二か所ある。
そして、死体を焼くための、薪を積む場所が、十カ所ある。
朝から晩まで、死体を焼く数は、毎日平均すると、30体から40体という。
ヒンドゥーの人たちは、事情が許せば、このりベナレス、ガンジスのほとりで、焼かれたいと思っているのである。
それは、金持ち、貧しい人、その他、諸々の違いを超えている。
すべての人が、その強い願望を持つ。
更に、死んで遺体で運ばれることもある。
御棺に入ったままに、送られることもある。
また、すでにお骨で、送られる場合もある。
つまり、ガンジスに流すためである。
遺骨は、流すのである。