私が生まれた年は、敗戦から、11年目の年である。
そして、その年から、北海道に、鰊が来なくなった。
鰊で栄えた、鰊御殿といわれる、漁師たちは、極貧の生活になった。
何故か・・・
それは、その年に取れる見込みの鰊を当てに、借金をするからである。
私の祖父も、そうだった。
だから、私は、貧乏の子、と呼ばれた。
敗戦から、少しずつ、回復していた、日本の経済は、上向きで、その後、高度経済成長期が、始まる。
幼い頃の、父は、でんぷん工場に出稼ぎに出た。
それは、小学生の時代である。
さて、そんなことは、どうでも、いい。
書きたいことは、その時代の教育である。
日本民族は、騎馬民族だったという、大嘘が、まかり通っていた。
教師たちも、そう言った。
それが、大嘘であることが、解ったのは、二十歳過ぎである。
呆れた。
何もかも、アメリカ占領軍の政策が、生きていた。
そして、それが、今も続いていると言う。
私は、すべて独学である。だから、権威がない。それで、いい。素人であるから、何を書いてもよい。
朝鮮半島で、何故か、縄文土器が、多数出土している。
おかしいことだ。
それは、つまり、縄文期の人たちが、朝鮮半島に渡ったということ。
ところが、通念として、
かつて日本には、縄文人が住んでいた。だが、弥生時代に入り、朝鮮半島から渡来人が来て、縄文人を追い払い、あるいは、混血し、彼らが、主な日本人の先祖となった。
と、ある。
真っ赤なウソである。
私の上の世代、団塊の世代、そして、私の世代、更に、今に至るまで、通念として、残る。
逆である。
縄文人が、半島に渡り、文化を伝えた。
そして、そこに住んだ、日本人の縄文人が、半島の最初の国を造ったのである。
あるいは、最初の国というものを、作り上げたのは、大陸の人である。
今現在の、朝鮮人が、そのまま、朝鮮人になったのではない。
だが、今も、馬鹿者は、天皇は、朝鮮から来たと、真顔で言う。
無知な政治家も、そのように言い、朝鮮人を喜ばせる。
更に、古代史に関しても、神武天皇は、架空の存在だという者がいる。
私が調べた限りでは、神武天皇は、実在の人物である。
その、即位した、樫原の地の跡の柱を、アメリカ、ミシガン大学で調査した結果、それは、二千年前のものだとの、ことである。
建国から、2700年を経ている。
そんな国は、世界に唯一である。
古代文明は、朝鮮半島から日本に伝わったもので、その逆は、あり得ない。という、通念を、そろそろ、止めた方がいい。
朝鮮人たちが、大量に押し寄せたのは、推古天皇の頃である。
百済系の人たち。更に、王族たちが、朝鮮の、あまりの残虐さに愛想をつかして、日本にやって来た。
そして、帰化したのである。
もう一度、整理して、書く。
日本人が、縄文期に、朝鮮半島に行き、土器などの文化を伝えた。
そして、その後、北部シナ人が、半島に侵入したため、そこにいた日本人が、弥生時代に、日本に戻ったのである。
その北部シナ人が、現在の韓国、朝鮮の歴史で建国した、というのが、史実である。
だから、その属国根性が、理解出来るというものだ。
李氏朝鮮が、どうしても、大陸に頭が上がらなかったのは、先祖たちが、シナ系だったからである。
そこで、身分制度を作り、徹底して人を差別した。
更に、近親婚である。
それが、二千年も続くと、へんてこりんの、人間が出来上がる。
現在の、朝鮮人である。
差別するために、書くのではない。
区別するために、書いている。
だから、彼らを、理解するのは、至難の業なのである。
反日も、裏は、中国、漢民族がやっている。
そして、それに乗り、自分たちが反日をしているという、意識が強い。だが、本当は、大陸の影響と、敗戦後、アメリカが韓国を造り、反日を指示した。
朝鮮人には、我という意識が、希薄である。
だから、いつも、何処かに、ふらふらと、寄り付く。
寄り付いて、その相手を、どん底に追いやる。
何も、成長していない、民族である。
そして、その方法もない。
さて、日本は、その反日行為に、右往左往して、今までやって来た。だが、もう、限界が来た。
特に、若者たちが、立ち上がる。
それは、若者たちは、実に良い、保守になっている。
おおよそ、40代以下の人たちである。
それは、また、マスコミ、その他の、嘘の情報が通じなくなっている。
皆、それぞれ、情報を得るからである。
嘘を教えられたことも、知る。
日本人が、朝鮮人の子孫でないことは、Y染色体の違いを見れば、解る。
当時、半島には、新羅、高句麗、百済があった。
百済は、日本人の子孫が多い。
そして、上代日本語と朝鮮半島で使用されていた言語が、同じものであることが、解った。
新羅でも、日本から渡来した人が、首領や国王になっている。
つまり、日本語と同じ言語を使っていたということだ。
勿論、歴史をまともに記録していない韓国は、まともな歴史を書くとこが出来ないだけではなく、その歴史は、だだの妄想、幻想の類である。
まだまだ、話はある。