さて、それでは、次に古代中国、朝鮮のあり方を見る。
朝鮮は、中国と同じ程度に考えるとよい。
つまり、その関係は、属国、あるいは、集簇関係である。
その歴史は、青銅器時代にまで、遡る。
確実なのは、周王朝時代、紀元前1122年から256年、に存在していたことが、確認されている。
複雑な要素の絡んだ当時の性的世界観は、同性間の欲望を、かなりオープンに受け入れていたという。
男の美しさは、公然と憧れの対象となっていた。
更に、男性同士の欲望も、隠すところなく、表明されていたのである。
男性と若者の、ホモエロテック関係は、エリート層、社会的特権階級の間で特に実践されていた。
その習慣は、20世紀まで続いた。
その後は、倫理的堕落という、偏見により、禁止されている。
20世紀に樹立された政治体制では、ホモセクシャリティは、植民地支配の申し子か、中国政府に対する、反発の意思表明と捉えられたのである。
あるいは、否定、無視されるという状態である。
だが、今日では、中国は密かに、ホモセクシャリティを、推奨している様子だと、香港の新聞が報じている。
その理由としては、少年を愛する文化の存在と、政府の産児制限政策が上げられる。
当然、ホモセクシャリティ、ゲイの存在を容認すれば、産児制限にもいいと、考えるところが、中国共産党である。
そして、更に、中国の都市部では、若者が興味本位での、ホモセクシャリティ関係を好むという。
それゆえ、エイズ感染が多くなった。
だが、古代中国では、女の性関係、レズビアニズムについては、全く記録がないのである。
ただし、19世紀の、珠江流域には、特殊な経済的役割を持った、ある階級の絹織者工場の女性労働者に、そのような関係が存在していたという史実がある。
中国の詩歌や民話では、同性に向かう欲望は人間の内なる本性ではなく、むしろある特定の人間の感情や欲望、行動の問題と見なされていた。そしてここまでもまた、ある人間がであるかより、何を行うかが重視されている。
性的アイデンティティや「ホモセクシャル」といった概念はそもそも中国には一切見当たらない。
ギルバート
それは、非西欧文化の考え方に通じるものがある。
すなわち、個人のセクシャリティを内的性衝動や単なる、欲望ではなく、親族関係や結婚、社会的役割、及び、習慣の産物と見なす思想がある。
だが、一過性ではないホモエロテックな欲望といった観念は、中国文学にも存在するようだ。
ギルバート
明王朝を舞台とした小説に、「ディー判事」シリーズがある。
著者は、オランダ人の学者、ロベルト・ファン・フーリック。
その中では、同性の相手との性的関係を望む人物が、自分自身のその「本性」に奇妙な快感を見出していることに言及している。
同性との行為で、最も一般的だったのは、アナルセックスである。
支配と服従の関係は、通常、年齢やジェンダー、社会的地位に支配され、それは、セクシャリティの形態に影響を与えた。
もっとも個人の役割は、人生のそれぞれの生き方を経るにつれ、これらの性関係のパターンに従い、変化した。
少年や青年のみが、年長者との関係で、受動的な役割を果たし、成人後は、能動的な役割を受け持つ。
勿論、一概に言えないこともある。古い物語には、このパターンに該当しないものもある。
中国の歴史を俯瞰すると、男の多くは、一生の間に、同性、異性双方と性関係を持ち、結婚し、父親になることと、若い男の愛人を持つことを、両立さていたのである。
更に、中国の、年齢構造化されたホモエロテック関係には、もう一つの形式があった。
それは、福建省の習慣で、男同士の擬制的親族関係である。
この関係は、公的な集団、例えば宮廷の高級官吏、知識階級、儒学者、僧侶といった、特定集団では、一般的なものだった。
年長者が「義兄」年少者が「義弟」と言うものである。
何と、それは一生涯続くものであった。
兄弟愛とも言い、当時の社会特有の形態である。
友愛の情が、極めて深い場合は、儀式が執り行われた。そこで、永遠の愛を誓うのである。
さて、中国という、巨大で複雑な社会には、このほかにも、様々な種類のセイム・ジェンダー関係がある。
その中には、男が女の、あるいは、女が男の役割を果たす者たち。
今の、ジェンダーの問題と同じである。
更に、宦官という去勢者存在し、女より、男を好む者も多数存在した。
更に、性行為を伴う同性間の特別な友情は、階級の差を乗り越えた。
男同士の商品としての性も存在した。
空海が唐に渡り、その風俗を見て、同性愛の様を知り、日本に持ち込んだという説もある。
つまり、男の売春宿である。
その後、稚児経という、本まで書いている。
つまり、男の愛し方入門のようなものである。
私は、いずれ先々、男が男を愛すると言う、性技も書くことになると思う。
さて、その後、清の時代には、「紅楼夢」という有名な小説が書かれる。
そこでは、十代の男同士の愛が、描かれる。
パートナー同士の対等な関係を意味する、平等主義に基づく、ホモセクシャリティさえも、登場する。
現在では、まさしく、ホモセクシュアルと呼ぶものである。
不朽の愛を感じさせる、ロマンスである。