神仏は妄想である548

さて、少しばかり、日本仏教について、見て来た。

もう、日本仏教は、新しく生まれる力は、残っていない。


ただ、それらの、カスを集めたような、新興宗教が起こるのみ、である。


ここで、もう一度、仏教の変転を見ることにする。


それは、人間の創作、私の言葉では、妄想の様を見ることである。

大乗仏教という、日本仏教の大本である。


以前も書いたが、それらは、ユダヤに発した、原始基督教、あるいは、景教の影響を受けたと紹介した。

ここで、また、大乗仏教の言う、永遠の仏、というものと、基督教の、永遠の神、の類似性、及びその違いについて、書く。


はじめに、仏教の教祖は、ゴータマ・シッダルタである。

紀元前6世紀頃の、インド・ネパール地方の小国であった、釈迦族の国に、王子として生まれる。


29歳の年に、生老病死という人生の苦を思い、妻子を捨てて、城を捨てて、出家する。


六年間に渡り、苦行を主とした修行をして、解決を模索する。

そして、ついに、苦行の無意味さを知り、極端に陥らず、中道を歩むことを、決意する。


そして、人生は、苦である。すべてのものは、移り変わると言う、無常、世界の存在、現象は、捉えられるべき実体がないという、無我、すべての執着を断ち、苦悩に満ちた、輪廻の世界に生まれ変わらない、輪廻から抜けるという、涅槃の境地を得るということを、知る。


これは、それ以前のインドの思想が、大きく影響している。


輪廻転生は、インドの思想の中の一つだった。

だが、輪廻転生など、信じない者もいる。


そして、ゴータマは、悟った人、ブッダと呼ばれる。

これは、インドの古典語のサンスクリット語で、真理に目覚めた人、という意味だ。


ただし、仏陀は、ゴータマのみではない。

当時は、多くの、仏陀が存在していた。


つまり、特別な存在ではないのである。

仏教として、広がったのは、そこに付け入った人たちが、多数いるということである。


ブッダは、漢字では、仏陀と書かれ、その略が、仏である。


その、仏、というものも、宗教的聖者を呼ぶ、一般的な言葉だったが、後世になり、仏教の専門用語となる。


仏陀は、ゴータマに対する、尊称である。


ちなみに、シャカと言う人は、間違い。

それは、仏陀の民族を言う。


さて、ところが、後世になり、大日如来、阿弥陀如来という、化け物が登場する。

それは、永遠に存在する仏、という理想の思想である。

いや、願望の思想である。


すると、仏は、人間ではなくなる。

人間とは、別物である。

だから、私は、化け物と呼ぶ。


これは、実は、おかしなことなのである。

なぜなら、生前のゴータマは、超人間的な存在について、一切、語ることが無かったのである。


その教えの、はじめは、また、初期仏典には、仏陀は、永遠的存在に関することは、全く語らないのである。


一体、何故か・・・


それは、仏陀の滅後、500年、600年経てから、つまり、西暦一世紀頃から、涅槃文学で、次第に、確立していったものである。


以前も書いたが、丁度、西暦一世紀とは、イエスの弟子、トマスがインド方面に伝道し、インドに基督教の影響が及んでいた時期である。


そのトマスは、インドの南西部、マラバル地方に七つの教会を建てた。

現在でも、聖トマス教会のある、ケララ州では、住民の25パーセントが基督教徒である。


更にまた、当時は、ゾロアスター教の影響も、及んでいた。

それは、紀元前六世紀頃、ペルシャのゾロアスターが唱えた教えである。


ゾロアスターは、それまで多神教であった、ペルシャの宗教を、一神教にするように教えを説いた。

彼は、永遠の神のもとで、善の勢力と、悪の勢力が闘争を繰り広げているという、思想を展開し、やがて救い主が現れて、最終的に歴史は、善の勢力の勝利を持って終わるという、教えを説いた。


ペルシャでゾロアスターが活動した時期は、イスラエルで予言者イザヤが、唯一の神を高揚して、救い主キリストの出現と、その勝利を予言した時代である。


ペルシャがインドに近く、ゾロアスター教の、永遠の神、の思想がインドに強い影響を与えたのである。


さて、大日如来が登場したのは、七世紀である。

つまり、密教の成立が、大きく関与している。


これは、仏教というより、特殊な宗教、新しい宗教なのであるが、仏教の中に、その居場所を作った。

実に、呆れる。


そこで、その密教にも、基督教の影響が甚大であることだ。


大乗仏教の、阿弥陀如来も、大ビルシャナ仏も、永遠の仏、として、新しく登場したが、それは、全く、基督教、ゾロアスター教の影響である。


それが、経典に書かれることによって、仏典と称して、大嘘の教えを説き始めたのである。


ちなみに、日本は、中国の仏教から、輸入して、成り立っている。つまり、日本の仏教は、中国仏教からのものである。


日本仏教を理解するなら、中国仏教を知る必要がある。

勿論、中国も、とんでもない妄想全開の人たちが、更に、作り上げたものである。

それも、呆れる。