神仏は妄想である549

これから、気の遠くなるような、中国仏教について、俯瞰する。

私は、素人であるから、学者のような論文ではなく、気の向くままに、書きつける。


中国のそれから、日本の仏教が生まれた。

インドから、中国への仏教の変転を見るのである。


そして、インド仏教が、中国に渡り、変容したのか、変化したのか、どちらでもいいが、日本の仏教の原型が出来上がる。


その、妄想の歴史を俯瞰する。


シルクロードの、東西貿易交通の発達は、インド仏教、特に、インド西北部に興隆した仏教が、シナ、トルキスタンのオアシス諸国に伸びて、更に、中国へと誘われた。


前一世紀の頃には、中国と密接な交通関係を持つ、シルクロードの北、クッチャや、南のホータンに仏教化が及んだと、推測されている。


紀元元年前後には、中国にまで、細々ながら、仏教の流れが、浸透してきた。


それは、まず、次第に増加してきた、クッチャ、大月氏からの帰化人、その二世などの間に、受容されていた。

そして、一世紀の半ばに、後漢帝国の中にも、楚王英のように、僧俗の奉仕者、つまり、僧と、俗人の優婆塞、それらは、外来宣教師や、帰化人西域人であろうと思われる人たちが、供養し、自ら、その教えによって、一定期間の斎戒を守る奉仕行もした。


ただ彼らは、仏教のみを奉じたのではなく、中国人の伝統的信仰であった、不死の神仙道も奉じ、神仙となって、天上に現存すると言われた、黄帝・老子を仏と合わせて祀り、神仙道に通じた、方術士、シャーマンなどの呪術的信仰も、奉じたのである。


もう、すでにこの辺りから、おかしいのである。


二世紀半ばになると、後漢皇帝も洛陽の宮廷で、自国の老子と、インドの仏とを合わせ、祭祀するようになった。


つまり、伝来初期の仏教は、王室のような上層階級にさえも、自国の神仙と信じられた、老子の神仙道と同様な教えとして、受容されていたのである。


それでは、無知な庶民に広がる仏教は、外国の神仙が説いた道教の一派として、信者を得ていた。


その頃は、道教も、民族宗教への発展を進めていたのである。


さて、重要なことは、この頃から、洛陽に続々と仏教を宣教に来た、西域諸国の伝道者たちが、仏典漢訳を行い、漢人に自国の言葉で、仏典を読めるようにしたことである。


もう一つの側面は、二世紀半ば、西方では北西インドに都を置き、インドと中央アジアにまたがる広大な領域を支配する、大月氏国王、カニシカの治世にあたり、新興の大乗仏教が、在来の部派伝統仏教を、小乗と侮り、批判し、活発な新仏教運動を展開して、その刺激を受けた小乗仏教と並んで、教化線拡大に、流布してい時期である。


そして、この地方で生まれた、仏像、つまり、ギリシャ仏像彫刻が、急速に、流布していた時である。


中国へは、西北インドを含めて、西域諸国の、仏教徒による、大小乗の複数仏教であり、更に、金色の神仙と思われた、仏像や、聖なる高層建築塔の崇拝を随伴するものだった。


二世紀後半の、後漢帝国は、宮廷、官界の堕落と、道教的信仰により、民衆を蜂起して、激しい討漢戦争に、黄色い布を頭に巻きつけた人民軍により、帝国は、崩壊、滅亡の憂き目にあう。

これを、黄巾の乱と、言う。


だが、驚くことに、この状態でも、190年頃は、三千人も入れる重層な楼閣建築を中心に、金色の仏像を祀る寺が造られ、年ごとの仏誕生祭に、莫大な費用を投じていた。


これは、つまり、国が乱れて、生命、財産の危機に迫られた社会的不安が、人々に宗教を求めさせたというこことである。


それは、また、宗教の恐ろしさを見せつけるものであり、人を騙すものとして、生きるものだということ。


単なる、現実逃避だとは、考えないのである。


そうして、延々として、今の今まで、宗教に騙されている姿。

哀れとしか、言いようが無い。


後漢が亡んでも、仏教伝来の波は、3世紀、4世紀、5世紀と、絶え間なく、押し寄せた。


その後も、日本の留学僧が盛んに行くことになる、隋、唐の時代まで、盛んになりこそすれ、衰えることはなかった。


また、中国人自ら求めて、驚くべき熱心さで、複雑な内容の仏典の翻訳を成し、講義し、宣教した。

そして、五千巻を越える、膨大な漢訳仏教の、大蔵経、つまり、一切経を成すに至る。


そこには、大乗も、小乗の仏典もある。


ここでも、西北インドと同じく、大乗宣教者は、小乗を、仏説の偏狭な理解で、仏教の真義を忘れたものと、批判する。

小乗側は、大乗は、異教徒の教義だと、非仏教として、批判する。


大乗仏典を、「魔」の書だとまで、排斥するのである。


つまり、同じ宗教の中でこそ、非寛容になり、排他的になることが、解る。

更に、憎み合う。


ただ、救いは、中国の仏教徒は、どちらも敬虔に、謙虚に、仏の説として、受け入れていた。


それは、中国仏教が、作られてゆく過程を見るものだ。

大小乗複数の諸仏典の、総合受容に上に、新展開して行く、中国仏教である。


その、最も重要視された教えは、「空」こそ、仏教の基礎であり、「空」の智慧、般若智の体得こそ、仏陀の真義を踏まえた、真仏教の第一の道とする。


それは、結果的に、「般若経」を中心とする、大乗仏教に傾倒したということになる。


更に、仏典翻訳が増加すると、中には、常、楽、我、浄だという、般若経や、小乗経一般の、苦、空、無常、無我の説を否定し、一切の衆生は、すべて仏になりうる可能性が潜在しているという「涅槃経」も出て、これが仏陀最後の教えだ、究極の教えだと、提唱する者も出たのである。


それは、ご存じ、天台宗の創始者、最澄の陥った、迷いである。

元々は、中国仏教から、出たものである。