性について302

アザンデ族の第三の例は、王族に関わるものである。


王室の王子には、将来の結婚相手や、婚姻時期に関わる発言権は、一切なかった。

政治的協定や、親族間の取り決めに翻弄される王子たちの立場は、人質に近いものがある。


父王が、結婚の準備を整える間、それを待つ王子たちは、従者が付き添った。

従者は、王子が何処へ行く時も、同行し、王室社会に不可欠な存在だった。


彼らは、調理、掃除をこなし、儀礼の際には、ある役目を担い、また戦士として、王子を助け、更には、性的快楽のパートナーともなった。

王子の目に留まった少年は、従者として、他の者に勝る、寵愛を受けたのである。


アザンデの習慣では、パートナーの少年に、妻のような仕事、機能を与え、明らかに、妻の社会的、性的な役割を模倣させていた。


だが、これらの関係は、一時的なものだった。

少年が成長すると、かつての恋人が、妻を探す手助けをすることもあった。


最も、少年との結婚の目的は、年長者の快楽のためと考えられていた。


年齢差の存在は、アザンデ族における男性と少年との関係を理解するうえで何より重要である。

ギルバート


さて、女性に関しては、同じように、女同士の関係を持つことがあったという。

だが、それは、年齢は重要な要素ではない。


また、正式なホモエロテックな結婚制度は、女の場合は存在しなかった。


時に、同じ夫を持つ二人の女に、性的関係が生まれたが、これは、一夫多妻という環境が招いた結果である。


男同士の性関係と比較すると、女同士の関係についての研究は、少ないという。


アザンデ族の社会に、このような結婚や戦士の習慣に関わる親密な関係が慣習として存在したことは注目に値する。このような習慣が誕生するまでの歴史的経緯を完全に理解することは不可能だろうが、男性、女性双方に同性間の性的関係が見られるという事実は、ある教訓を私たちに教えてくれる。様々な文化が有する豊かな性のバァリエーションはほぼ予測可能だという考え方を、まず私たちは捨てなければならないのだ。

ギルバート


つまり、偏見を持つな、ということだ。

更に、限定しないこと。定義付けを行っても、詮無いことなのだ。


現在、アフリカ南部のレソトには、若い女同士が、親密な関係を築く習慣が見られる。

このホモエロテック関係でも、年齢差が重視されている。


彼女たちは、マミーとベビーの関係にあると言う。

この性的な友情は、求婚を模倣した形を取り、その後は、男女の場合と同様に、実際の肉体的な関係に至る。


擬制的親族関係を築くことで、自分たちの欲望、愛情に対する社会的な支援、及び文化的な容認を確実なものとしている。


この関係は、思春期に達すると、開始される。

独特の結びつきは、次第に親密度を増し、公の場でのキスから始まり、やがて性的関係を持ち、生涯の絆へと深まる。


ただし、将来、男と結婚するという、妨げにならない程度に、止められる。


若い女が、いずれ結婚するための準備のために、年上の女が、アドバイスするというから、驚く。


結婚後も、関係が続くこともあるが、いずれは、離れて行くと言う。

だが、若い女も、その頃には、年下の女を探す時期に来る。

そして、役割が変化して、今度は、若い女に、結婚のための、アドバイスをするという。


この習慣のおかげで少女たちは、将来出会う様々な社会性関係を受け入れる準備を整えることができる。

ギルバート


つまり、日本にも古くからある、男村、女村の考え方である。


それぞれの村では、男同士が社会性を養うために、年長者が年下の者に、教える。その中では、性的関係もある。


女村も、同じである。


更に、現在でも、ある地域には、互いの息子、あるいは、男の子を預けるという、習慣が残る。

その地域を書くと、偏見を持たれることもあるので、省略するが・・・


相手方の主人との、性的関係もある。

そうして、少年が成長する。


果たして、それが同性愛かと言われれば、同性愛というより、郷土愛に続く習慣という、伝統愛だと、私は言う。


人生の一過性の関係を持って、同性愛という、言い方がおかしいのである。


さて、文化人類学からの、試みである、ギルバートの研究である。


アフリカの最後は、アフリカ文学に登場する、ホモセクシャリティ、ジェンダー関係は、否定的な扱いを受けるという。

それは、外部から持ち込まれたものという意識だ。


この性的排外主義は間違いなく、植民地支配に対する反動の一つであり、またホモセクシャアルな関係を「他者」扱いしようという姿勢の現れといえる。

ギルバート


私も言う。

西洋諸国の植民地支配は、偏見に満ちたものであると。


自国では、ホモセクシャリティが盛んでも、植民地支配地では、キリスト教の教義を押し付ける。

勿論、日本もその犠牲者である。


もし、明治期に、キリスト教の偏見な教義が入らなければ、日本のホモセクシャリティは、それほどの偏見を持たなかったと言える。


一体、同性愛というものが、社会になにがしかの、毒を与えたのかと、言う。

その影響は、善かれと思うものの、悪しかれと思うものではない。


何せ、それにより、伝えられたものの方が、実に多いのである。

そして、何より、人の性向は、千差万別である、ということだ。

人の顔と同じく、性の有様も・・・