玉砕268

日本人を虐殺した、通州事件は、日本国民を激昂させた。

当然である。


中国の暴挙を許せないという世論が高まり、政府の断固とした処置を求める声が、高まった。

だが、日本では、万宝山事件の際に、朝鮮で起こった、反華僑暴動、ソウル、平壌、新義州の中華街を襲い、109人を殺すという事態にはならなかった。


つまり、横浜、神戸の中華街も、無事だった。

それは、日本人には、そのような暴力がないということだ。


さて、政府は、中国での不拡大方針を堅持し、激昂する世論にも関わらず、天皇陛下のご示唆もあり、8月1日、画期的な和平案を作成し、5日、外務、陸海軍大臣の了解を得て、中国側に提案する。


この和平案は、日中間の、懸案事項、特に華北での既得権を、大半放棄するという、譲歩案だった。


交渉の担当者は、元上海総領事で、当時、在華紡績同業会理事長の、船津辰一郎が指名された。

それゆえ、舩津和平工作と呼ばれた。


ところが、最初の会談が、川越大使と高宋亜州司長との間で行われた、8月9日、大山中尉惨殺事件が起こった。


これは、隠れ共産党員の、張治中南京上海海防衛隊司令が、蒋介石に、日本攻撃を迫る目的で行わせたものである。


まさに、コミンテルン指令、その一、あくまで局地解決を避け、日中全面衝突に導かなければならない。その二、目的貫徹のためにあらゆる手段を理由すべく、局地解決や日本への譲歩によって中国の解放を裏切る要人は抹殺してもよい。との、実践である。


その狙い通り、和平交渉は、消滅した。


その、蒋介石は、日本との戦争準備を進めていた。

ファルケンハウゼ将軍を指導者とする、ドイツ軍事顧問団の指導で、50個師団の装備、訓練共に、近代化された中央軍の建設を進めると同時に、上海郊外、ゼークト・ラインと称せられる、二万個のトーチカ群からなる、堅牢な防御網を築いて、対日戦に備えていた。


しかし、蒋介石は、本格戦争の開始には、慎重を期した。


ファルケンハウゼは、先制攻撃を進言したが、こうした意見や、張治中らの、主戦論には、中々同調しなかったのである。


だが、反日世論の高まり、大山中尉殺害などの、既成事実の積み重ねもあり、ついに、開戦を決意する。


その裏について・・・

茂木弘道氏の、推測を掲げる。


蒋介石の、開戦に関して、その拠り所が、8月21日に締結された、中ソ不可侵条約に付随する、秘密協定にあると、言う。


つまり、航空機360機、戦車200両、トラック1500台、ライフル15万丁、砲弾12万個、銃弾6千発を年内に供給するというものだ。


更に、各部門の技術者を派遣する。


これなしでは、開戦に持ち込めなかったであろうとの、推論である。

だが、最もなことである。

こうした補給が、確保出来るか否かが、戦争遂行には、必要不可欠である。


そして、これは、つまり、ソ連が戦争を仕掛けたようなものである。


日中戦争の前半はもっぱらソ連の軍事支援に頼り、後半は米英の軍事支援で戦争を続けたというのが中国軍の実態です。

茂木


戦いが長期化し、泥沼の形相になったのは、中国大陸が広大なためではなく、これらの大国の軍事支援によるものである。


果たして、これでも、日本が侵略したと言うのか・・・


キリスト教白人によって、ヤラセを受けたのである。


1937年8月13日、上海、租界を包囲していた、中国精鋭部隊三万は、四千に百の、海軍陸戦隊に対して、攻撃を開始する。


北支の戦いが、飛び火したという言い方がされるが、違う。

北支で、日本軍は、上海から一千キロ離れた、保定の線から、南には進んでいない。


上海の戦いは、蒋介石の意志によって、始めたられたものである。

それは、ニューヨークタイムズが報じている通りだ。


15日、蒋介石は、全国総動員令を出し、大本営を設置して、陸海空三軍の総司令に就任し、全面戦争を仕掛けて来た。


日本側は、三万居留民を四千二百の陸戦隊で守ることは不可能なので、13日、陸軍二個師団の派遣を決定し、松井岩根大将の下、上海派遣軍編成が下令された。


しかし、上海に輸送、上陸させるには、10日程近くかかる。

その時まで、陸戦隊は、十倍の中国軍と戦うのである。


敗れて、中国軍の租界への侵入を許せば、第二の、通州事件である。


陸軍一個師団が、上海に上陸したのは、23日である。

それまでの、十日間、よくぞ守り切ったものである。


上海大虐殺は、防ぐことが出来たのである。


蒋介石は、初戦の一週間で、全力で上海の敵を消滅することができなかったと、悔やんだ。


つまり、当然、消滅させられると、考えていたのである。


だが、悲劇は、これからである。


14日、日本艦艇を狙った攻撃に出た中国機が、反撃を受けて、迷走し、フランス租界、国際共同租界の、バレス・ホテル、キャセイホテル前の路上に、爆弾を投下した。


729人即死、861人負傷という、損害を民間人に与えた。

更に、婦女子の避難所となっていた大世界娯楽センターにも、爆弾を投下して、1012人の死亡、1007人の負傷を出した。


大部分は、中国人だが、多くの外国人も混じっていた。


国民党は、それを日本軍機によるものとの、大嘘を宣伝する。

だが、外国人記者たちは、その前で起きた事件である。


嘘が通用するわけがない。

いつでも、大嘘の、漢民族である。

結局、遺憾の意を表明したのである。