国を愛して何が悪い224

内乱の渦中からは異様な人間が形成されることを、私は平家物語について語ったときも指摘しておいた。後白河法皇のような大怪物から、文覚とか俊寛のような人物まで、興味ふかいタイプがあらわれる。しかし建武中興から南北朝抗争と五十年間も内乱がつづき、その上明日がどうなるかわからぬ無秩序状態のものでは人間は病的になるらしい。刹那の享楽に身を焼き尽くすような人間とか、或いは「内乱ずれ」の結果と言ってもいいが、異常性格者があらわれる。

亀井勝一郎


護良親王の部下に見る、辻切などは、至る所で行われていたはずである。

太平記には、その中でも、特異な存在として、結城入道道忠の行状を記している。


げにもこの道忠が平生の振舞をきけば、十悪五逆重障過極の悪人なり。鹿を狩り鷹を使う事は、せめて世俗のわざなれば言うにたらず。咎なき者を殴ち縛り、僧尼を殺す事数を知らず。常に死人の首を目に見ねば、心地の蒙気するとて、僧俗男女を云はず、日毎に二三人が頸を切り、わざと目の前にかげさせり。されば彼の暫くも居たるありは、死骨満ちて屍骸積んで九原の如し

現代文は、私


一種の発狂状態である。

そういう連中が、数多いたということだ。


太平記の作者たちは、この極悪の罪に対して、堕地獄の罰を与えようとして、無間地獄に堕ちて、猛火に焼かれる末路を書く。


そこには、内面の罪業としての自覚がないばかりか、恐怖する心も無いのである。

だが、それも、内乱の犠牲者なのかもしれないと、私は思う。


次には、佐々木道誉の例である。

娑佐羅、バサラと言うが、その途方もない贅沢である。

そして、横暴である。


妙法院の前を通った、彼の部下が、紅葉の枝を折った。

それを門主が咎める。そこで、山法師との争いとなり、道誉は、三百の兵を率いて、放火した。


後に、山門の訴訟により、流刑に処せられるが、悔悟の情はない。

公家や山門の権威など、全く眼中にない。

武家として、勝利に陶酔した果ての、精神異常である。


様々な話があるが・・・


太平記は、その残虐さを書き尽くす。

他の軍紀にはない、その描写である。

原文を読むことを、勧める。


人間の情欲の凄まじさを描く箇所もある。


室町武士の逞しさなどというものではない。階級移動と無政府状態が生んだ狂気であり、精神異常である。ことさら相手を虐待したり殺して快感を抱く。武力で一切が解決出来るといった支配者の思い上がりも背景にある。

亀井


戦勝に奢った武家たちの、遊興振りは、徹底したものだった。

その大浪費の様である。


さすがに、太平記の作者たちは、怒りの筆を帯びるのである。


貧窮している、民に施すこともなく、仏僧の布施もない。

そして、その物品、金銭は、寺社本所の所領を押さえ取り、土民百姓の資材を攻め取るという。


それを、前代未聞の僻事なり、と判定している。


内乱の無秩序状態と、欲望の露出はすさまじいものであった。人間の野獣化と言ってもよい。情欲や執念の描写は他の物語にはいくらでもあるが、太平記の伝えるところは、このように残忍性を帯び狂的である点に特徴がある。無常感などをもちこんではいない。罪悪感も稀薄だ。強いて言うならば明日への戦慄にむすびついた虚無感であり、そこに発した刹那主義とでも言うべきであろう。

亀井


建武中興当時の、公家たちが、王朝の残夢を追って、刹那の享楽にやつしたが、代わって登場した武家たちも、この体たらくである。


武家としての、倫理と、人間としての、新鮮味なども、無かった。


鎌倉武士に比べても、いちじるしい、転落である。

通常では、武士の戦いは、武士のみであったが、この当時は、民も犠牲になったというから、驚くのである。

まさに、無法である。


ちなみに、後に、室町期の文化を紹介するが、現在の伝統文化の元は、室町期の文化である。

茶道、華道、その他諸々の、文化的行為は、室町期からのものである。

能もそうである。


一体、このような、無秩序の中で、どのようにして、それが、生まれたのか。


亀井氏が、指摘する太平記の、ある部分がある。

それが、「北野通夜物語の事」である。


日野僧正頼意が、北野の聖廟に通夜した時、たまたま、遁世者、雲客、法師の三人が、語り合うという場面である。


当時、失意の人々の三つの、典型を伝えている。

世に受け入れられない、不平の知識人、傍観者である。


だが、太平記の作者たちは、故事来歴、過去の話に始終して、現状への直接的な批判ということでは、実に貧弱である。


それ政道のために怨なる者は、無礼、不忠、邪欲、功誇、大酒、遊宴、バサラ、傾城、双六、剛縁、内奏、さては不直の奉行なり

現代文は、私


臣君を無し、子父を殺すも、今生一世の悪に非ず。武士は衣食に飽満て、公家は餓死に及ぶことも、皆過去の因果にてこそ候らめ

現代文は、私


公家も駄目、武家の駄目ということだ。


こんな時代があったということ、知るべきである。


そして、王氏、天皇は、南朝と、北朝に別れていた。


戦乱と、武家の横暴と、浪費と、無秩序状態のなかで、民衆は民衆自身の楽しみを発見していったにちがいないのだ。同時に京の夜道には鋭い悲鳴が聞こえた筈である。遊興の果てて機嫌よく歩いているとき、「辻斬り」のために、ばっさりやられる危険があったからである。「内乱と異常性格」の名のもとに、私は室町初期の武家の姿と世相を語ったが、これが同時に室町文化形成の背景ともなっていることは後に述べよう。

亀井


日本人は、本当に、日本の歴史を知る者だろうか。

これは、精神史である。

精神史から、歴史を見ると、更に、明確に見えるものがある。