国を愛して何が悪い226

保元・平治物語、平家物語、源平盛衰記、太平記と、軍記ものがつづいた最後に、なぜそれらを否定するような異色ある作品があらわれたのか。

亀井勝一郎


それは、義経記である。


亀井は、日本精神史研究で、再度、取り上げている。

私が、それを簡潔に紹介する。


まず、私見では、全く、想像の物語である。

作者も複数いる。

軍記ものではない。物語である。


しかし、何故、義経なのか・・・


吉野山中の描写が詳しいので、作者のなかには、京や平泉の作者のほかに、吉野法師もいたにちがいない。そうならば南朝の事情を当然伝聞していたであろうし、太平記に精通していたかもしれないのだ。しかし義経記は全く異質の文学である。双方の作者群は、まるで別の時代の別の世界に生きているような印象を受ける。

亀井


全く、私も、同感である。

そこに登場する、義経とは、一体、何者なのか・・・


武家でも、公家でもない。

山伏に変装しても、山伏でもない。

隠者でもない。


敗残流離の人として、創作されている。


武将というイメージを、どうしたら打ち消すことが出来るか。作者たちはまるでそのために苦心しているらしいところに興味がある。

亀井


平家物語に書かれる、義経を想像していると、誤る。


これは、人間不信時代の内乱時代の生んだ、人間信頼を取り戻すような物語として存在する。


軍記ものの後に、このような、情緒を求めた人たちが、いたのである。一種の救いである。


それは、つまり、太平記の否定にまで至る。

軍記ものへの、決別ともいう。


義経記とは、「平家物語の隠遁したすがた」だと言っていいのではないか。痛切な体験をかさねてきた果の、軽妙な遊びもそこにふくまれていることについては、後に再び述べる機会がある。

亀井


ほぼ同じ時代に出来た物語では、曽我物語がある。

しかしそれは、格段に、構想も、文章も劣るものである。


そこで語られる物語も、結局は、武家の存在の儚さである。

仇討ち物語として、語られるが、美談化され、筋はその通りだが、曽我五郎・十郎の、信頼し切った、兄弟の悲しい、流離譚である。


双方ともに、武家であることを、悔やむ嘆きの物語として見る。


更に、主人公の短命であること。


平たく言えば、浪花節的な、物語なのである。


当時、平家物語と共に、非業の死を遂げた、武将たちの遺族と、孤児の物語が、どれほど多く語り伝えられていたか。


平家物語が、日本人の精神史の一つの習いであるならば、それらは、日本人の底流に流れる、心情を作ったと言える。


平家物語にある、男の生き方が、後の日本人に、大きな影響を与えた。と、共に、それらは、裏側に位置するのである。


亀井は、そこに、400年前の、「かげろふの日記」にある、「あるかなきかの心ちする」という女の嘆きの声が、中世を貫いて、連続していると、言う。


あるかなきかの心ち・・・

つまり、それは、あはれ、なのである。


極めるところ、人間のやることの、愚かさに翻弄される悲しみも、あはれ、に尽きるのである。


後醍醐天皇崩御によって、王朝の滅びは確実となったわけだが、その滅びにあたかも調子をあわせるように、義経記と曽我物語が成立していることだ。どちらも武家の滅びを語り、「軍記もの」と訣別している点が興味深い。

亀井


だが、それ以後、日本の歴史は、室町期に少しばかりの安定を得たが、その後は、戦国時代に、突入している。


江戸時代になるまで、長期安定は、得られないのである。


その、精神史を見るのは、とても、難しい。

それぞれの時代の、精神を見ることは、簡単であるが、精神史となると、俯瞰することさえ、難しい。


ただ、皇室だけが、唯一の、基点として、考えられる。

勿論、それさえも、揺るいだが、唯一、続いていた家系が、皇室である。


南北朝となり、二つに別れた皇室だが、実際には、皇室、天皇としては、その地位は、変わらない。


またそれは、武家による、関与が大きいのである。

ただし、それでは、武家とは、何だったのかは、解らない。


後々に、武士道なる、基準が出来上がるが、それは、武家の精神というよりも、男の、人の生き方として、大成される。


その源流が、平家物語である。


太平記を俯瞰して、人間の、武家の愚かさを見て、結局は、それを否定するようになり、精神のあり方は、平家物語に帰着する。


そして、あの平安期の、精神は、どのように、変容したのか。

つまり、女房たちの心情から生まれた、あはれ、の感覚である。


源氏物語に言われる、もののあはれという、心象風景が、どのように伝わったのかが、問題である。


そうすると、私は、万葉集の精神との、断絶を考える。

精神史とは、実に、難しいものになる。


万葉集の、もののあはれ、は、実に粗削りだった。

それが、微妙繊細に変容したのが、平安期である。


だが、武家の登場により、それが、断絶したと言う。