国を愛して何が悪い227

中世は武家の時代だといわれるが、彼らがどれほど人間不信の念をばらまき、政権の座にあって醜態を極めたか。公家の醜態とあわせて、私は太平記に即してその諸相を語った。

人間性の一面がうかがわれて興味ぶかいにはちがいないが、それにしても五十年もつづく内乱とは、愚劣のきわみと言ってよい。日本史上稀にみる愚行の連続であった。建武中興をめぐって、後世の史家は南北朝時代を誇張しすぎた感がある。

亀井 改行、現代文は私


重要なのは、武家の動向ではなく、十三世紀における、鎌倉の宗教改革の行方であると、亀井は言うが、また、それを繰り返すのは、少しばかり、ノイローゼである。


鎌倉の宗教革命は、空前絶後であることは、私も認めるが、そればかりを取り上げるのは、精神史を語るうえでは、足りない。


五十年ほどの、愚劣もまた、精神史なのである。


それで、武家の台頭などは、比べ物にならないのこと。

いやいや、武家が台頭するということも、精神史の上では、考察すべきことである。


勿論、その武家というものは、思想がなかったと言える。

一体、それでは、武家とは、何か・・・


最初は、皇居の門番だった、彼らが、力を得て、武家となる。

そして、結局、公家に利用され、そして、堕落する。


権力と、物欲、この場合は、土地の所有である。


権力と、武力を持つと、ここまで、愚劣になるという、良い見本である。

それ以後は、どうか・・・

室町期を過ぎても、戦国時代が続く。いや、始まる。


何とか、武力のあり方を治める必要がある。

それが、天下統一ということであった。


亀井氏は、また、仏教伝来から、平安期の女房文学、その精神を繰り返す。

これでは、飽きる。


私は、それを飛ばして、進むことにする。


亀井氏の、日本精神史の研究は、それなりに、評価できる。

が、何度も、立ち戻るのは、何故か。

それは、彼の問題意識である。

信仰と、宗教に、凝り過ぎた感がある。


いや、亀井氏の、得意分野なのである。

それでは、仕方がない。


確かに、鎌倉時代の宗教家たちは、とても後の日本の精神に、影響を与えたが、それでは、それからの、時代の精神は、何の意味もなかつたのかと、疑問を抱く。


ところで鎌倉仏教の祖師たちの示した多様な信仰体験は、その後どのように受け継がれて行ったか。南北朝内乱から室町末期までの二百年の歴史は、この継承がどんなに危険にみちたものであったかを示している。

亀井


それは、時代性である。

あるいは、時代精神である。


王朝の夢を諦めきれなかった人々がいる。

亀井氏も、鎌倉の精神の継承を、諦めきれなかったようである。


ちなみに、私は、別エッセイにて、神仏は妄想である、を書いて、詳しく、宗教、特に、仏教とキリスト教を書いている。そちらを、参照されたい。


更に、鎌倉仏教の、始祖たちの、批判も行っている。


その議論は、そちらに譲る。


さて、室町期の精神に入る。

室町期は、現在いうところの、伝統文化というものが完成された時代である。


私から言えば、そんなものが、伝統などとは、言えないとの、考えである。

伝統とは、万葉の時代からを、言う。

つまり、それは、和歌のことである。


南北朝時代に入ると、田楽、連歌師、白拍子、遊女たちが、武家の邸宅や軍陣にしばしば招集され、彼らの羽目をはずした遊具の具にされたことは、太平記にもくりかえし語られているところだ。内乱は深い信仰とともに頽廃をもたらすが、また日々の不安をまぎらわすように様々な娯楽をも発達させる。

収拾不可能な無秩序の時代を前にして、困惑したのは公家と武家だけではない。民衆も流離しながら、信仰へ、遊びへ、虚無へ、一揆へと、激動しつづけたのである。

亀井


時代は、いつも、激動である。


一瞬も、留まることはない。

ただし、不易流行がある。

これは、江戸時代の、松尾芭蕉が、言う言葉であるが・・・

歴史を俯瞰する時には、その、不易流行を見逃さないことだ。


13世紀から、15世紀に渡り、どれほどの混乱が続いても、心の底には、忘れ得ない思い出、というものが、あるとの、亀井の言葉は、そのまま、不易流行のことである。


そして、そこで、起こった、室町期の能楽が、それを受け継いだ。

能楽・・・

現在は、世界遺産にまでなった、能というもの。


それは、室町期の能であり、現在の能ではない。

能は、室町期で終わった。

現在の能は、そのカスである。


何故か・・・

それをこれから、とくと見て行く。


観阿弥、世阿弥、元雅、禅竹等々・・・

能楽を大成した人たちである。


彼らは、歴史家であった。

彼らこそ、当時の歴史家である。

それを、舞台に乗せた。


ただし、彼らの身分は、最低である。

乞食とも、言われた。

河原乞食である。

それが、今では、芸術とされている、その訳は・・・

歴史家と共に、思想家であったと、私は言う。


現在言われる、神の語源である、幽玄、つまり、幽を、体現したのである。

これを知ると、明確に、日本の神なる思想が解る。