国を愛して何が悪い228

謡曲の題材種類は多く、私の言う「王朝」と「鎌倉」ものに限られたわけではないが、しかし時代は変わっても、日本人の音声の基調ともいうべきものは、ここで固まったのではないか。南北朝内乱の渦中で彼らはそれを改めて発掘したのである。

亀井


確かに、その後の日本の音声に、多大な影響を与えたと、私も思う。


そして、そのためには、田楽、申楽、白拍子、遊女、山伏、旅僧、琵琶法師等々、流離の人々の、心底にも、宿っていたものである。

能楽が、能楽だけでは、完成されなかったということだ。


そこで、観阿弥、世阿弥は、それらのすべてにおいて、抜群な、敏感な耳を持っていたといえる。


これによって歴史を、音声という面から総合的にとらえた最初の人たちではなかったか。しかも「滅び」においてとらえた。「滅びゆく王朝」と「滅びゆく武家」と、双方の原型を、歴史のうちに確認したと言ってもよい。

亀井


ここで、付け加えるならば、それ以前に、音声としては、万葉集の歌があると言う。

万葉集は、書き言葉ではなく、聞き言葉によるものである。

まず、音声があり、それを唇に乗せた、多くの人たち。それを、取材して、歌の数々を拾い集めた、人たちである。


柿本人麻呂、大伴家持・・・

ただし、その場合は、謡曲のような、うなり、ではなかった。

原始的な、発声である。


あるいは、単純なメロディーに、歌いあげたものである。


万葉集の歌は、声から始まつたのである。

しかし、その歌い方は、伝わっていない。

だから、とのように、朗詠しても、いいことになる。


観阿弥、世阿弥が、何よりもまず、音声の歴史家であると、亀井が言うが、それは、大伴家持にも、言える。


ただ、幸いなことに、能楽の謡曲は、残ることが出来たと言う、僥倖がある。だから、以後の日本の歌の、原型となったのである。


足利義満に奉仕したが、幕府全盛の時代に生きていると思っていたかどうか疑問である。武家の永続性など信じていたかどうか。彼らの「耳」はいやでも亡霊の声を聞き、まるで亡霊だけが信ずるの足るとでも言っているようである。

亀井


この、足利義満の少年愛については、誰も、多くを語らないので、私が書く。


美少年を好んだというが、違う。

彼は、少年愛だった。

世阿弥のみならず、当時の舞台に上がる、少年たちは、彼に愛された。それは、単に愛されたのではない。


男色の相手として、である。


室町期の禅の世界も、男色に溢れていた。


それが、能楽、申楽等々に、どのような影響を与えたか、である。


世阿弥も、その一人で、特に、その寵愛が強かったという。

そこで、乞食とされた能楽の人たちが、将軍の舞台に取り入れられたと、私は言う。


もし、そうでなければ、現在の、能という世界が、認められていたか、どうかは、疑問である。


歌舞伎の元、出雲のお国も、京の貴族たちに、受け入れられて、舞台を作った。そして、江戸に出て、成功を収め、現代に至るまで、続いている。

当時は、体を売りつつの、芸である。


夜の、伽の行為があり、舞台の可能性が、広がったのである。


再度、芸論の際に、それを書くことにする。


死者の過去を語ったり、その執念の実体をひき出したり、問答もこころみる。言わば亡霊を呼び起す役であるとともに、「滅び」を凝視する人でもある。歴史家とは招魂と鎮魂の祭祀者たる資格をもたなければならないものだからである。そういうかたちで歴史を発掘し、歴史の洞窟の奥へ人々を誘うからである。この点で二人はすぐれた歴史家であった。

亀井


そのためには、旅僧の見聞の広さが必要だった。

あるいは、遊女たちからの話である。


過去のみならず、諸国を廻り、多くの民衆と語りつつ、心に留めた無数の声があった。

それを聞きつつ、実際の旅僧から、「ものまね」を教えられる。


二人のあの驚くべき雑学ぶりと、風体の多様さに関する知識がそれを証明しているようである。

亀井


そして、その舞台では、旅の僧は、わき役として存在している。

主人公たるシテの動きや、舞が中心となり、見所も、シテを巡って、語られるが、この場合のワキの存在が、いかに重要であるか、である。


無視されたかたちで、ただ黙って坐っている場合でも、のびやかに、重層な印象を与えなければならない。そしてシテの運命から眼を離してはならないのだ。無言の対話を持続していなければならないのだ。そうでないと、舞台全体の安定感は崩れるからである。

亀井


私は、現代の能は、見ない。

私には、見る必要が無いのである。


世阿弥の書き物により、私は、能を理解する。

もし、万が一、現代の能を見て、私の理解する、世阿弥の書について、それが違うと感じた場合を考えると、見る必要を感じないからだ。


世阿弥の能は、見ることが出来ないのである。

勿論、現代の能を否定するものではない。


もし、現代の能楽師が、その辺の道で、能をするというなら、話は別である。


能楽堂という場において、一体、どのような、能を行うのか・・・

茶の湯が、茶室のみで行われると、同じである。


そんな、流暢なものは、見たくない。

私は、河原乞食と言われた、能を見たいのである。