性について304

オーストラリアのアボリニジ族、マリンド・アニム族、サンビア族、その他多数の、メラネシア文化をはじめとする、少年に精液を与える儀礼が存在する文化では、男と女の関係も、年齢と、ヒエラルキーによって、支配された。


その、年齢構造化された関係の、ヒエラルキー構造は、少女の結婚相手に選ばれる男は、必ず数歳年上であるという、事実である。


オーストラリアのアボリニジ族では、この慣習が、老人支配という極端な形で現れた社会である。


適齢期の少女は、理論上、自分の祖父と同世代の男と結婚する。


同様に、ビッグ・ナンバス族や、他の離島の部族には、少年が年上の男と、結婚したり、一、二世代上の、族長の性的パートナーとなったりする文化もある。


これらの文化には、対等な立場の同性間の関係という、発想はない。


男女間の場合も、男と少年の場合も、パートナー同士が相互に、影響し合うセクシャリティも存在しない。


ギルバート・ハートは、幾つかの原則を挙げて、少年に精液を与える儀礼に関わる、生活様式について、考察している。


以下、簡略に紹介する。


第一に、少年に精液を与える関係は、イニシェーション儀礼や、思春期儀礼を通じて、実践される。


それらの儀礼は、個人的行為というより、集団的儀礼として、遂行される。


第二は、一連の儀礼には、先祖が、魂として、あるいは、実体として参加し、祝福を与えると信じられる。

だから、それらの儀礼は、常に宗教的に聖別されている。


そのホモエロティックな行為は、セックスのみならず、精神的成長や、ホールパーソン、一人前の大人、として、その後の人生すべてと、分かちがたく結びついている。


第三には、同性間のエロティック関係は、同じく、年齢グレード化された社会的役割によって、合理化され、その役割は、ヒエラルキー構造を有する、秘密結社への加入とも、関係がある。


儀礼、精液授与を経た場合のみ、少年は、より高い地位への昇格が許されるという。


第四には、精液を与える行為が実践され、正当化されてきた背景には、儀礼に寄せる、信仰心がある。

その場合の、精液には、男らしさの霊液として、身体的成長や、社会的成熟、生殖能力すべてを司る、重要な役割がある。


つまり、精液の代用物は存在しないので、男は、誰もが成長の過程で、精液を与えられる儀礼のプロセスを体験する。


第五に、同性間の性的関係の成立は、親族関係と結婚、そして、それらに関わる権利と、タブーによって、支配される。


例えば、ヘテロセクシャルな結びつきに見られる、禁忌を反映した近親相姦のタブーにより、男の近親者間の性交渉は、禁止される。


第六に、精液の提供者に相応しい人物が、文化的理念により、定められている社会もある。


サンビア族では、年長の性的パートナーを務めるのは、少年の義理の兄が望ましい。

義兄がえらばれるのは、結婚による交換システムのためである。


少年が、他の氏族に一人の女を、贈り物として贈った返礼に、少年は、姉の夫から、精液の贈り物を、受け取る。

その結果、少年は、成長し、逞しくなる。


勿論、実際には、義兄以外にも、精液提供者は大勢いる。

近親者ではなく、生殖能力があるという、社会的基準を満たしていれば、可能である。


そこで、少年は、精液と社会的な後ろ盾を与えてくれる、年長の男に、愛情を求め、その仕組みによって、生活様式の中の、同性間の欲望、興奮が約束される。


そこで面白いのは、これらの性関係が、女との相互関係、結婚や、男女間の情熱的関係を妨げるものではないということだ。


女は、異なる形態の社会的達成を与える存在として、認識される。


勿論、性的欲望、興奮を含めた、異なる形態の存在である。


だが、更に、こういう文化は、美を体現する理想像を、女ではなく、男に求める例が多いのである。


その場合は、男は性的対象であり、それは、男が性的欲望の対象になるという、概念を裏付ける。


男は、このような体験を、その発生に関わる論証や、文化的論証により、分類することはないという。


その点が、欧米文化とは違うのである。


これらの習慣に対して、欧米的な解釈をするとしても、欧米の、ホモセクシャリティの、役割とは、一致しないのである。


同様に、メラネシアに見られる「バイセクシャル」についても、その文化的理念の説明は難しいだろう。

ギルバート


これについては、省略する。


ただ、中には、ニューギニアの少年に、もし、セイム・ジェンダー関係への欲望が、芽生えた場合である。

ギルバートは、文化によって、「現実的で必要不可欠な」ものへと変わっていく。と、言う。


つまり、中には、ホモセクシャリティの感覚を持つ、少年である。


男性同士の性的パートナーが相互関係を持つ例としては、青年期に入った少年たちが互いに手淫を行うという珍しい事例が報告されているが、これらの文化変化や新しい規範を持ち込んだ植民地化を経験している。

ギルバート


白人の植民地化により、その習慣が、廃れるという状態になっても、ホモセクシャリティ感覚を持つ男は、変わらずに存在する。


ギルバード・ハートは、もっと、複雑に分析するが・・・


ちなみに、ギルバートは、触れていないが、欧米白人の考え方には、キリスト教の教えが、明確に存在している。


教会が、罪と定めたことに、逆らうことは、出来ない。

勿論、現代は、それを超越し始めたことは、承知の通り。


そして、一神教は、同性愛を認めないのである。

それは、父系権威宗教だからだ。