性について305

少年に精液を与える習慣は、古代から脈々と受け継がれてきた生活様式のなかの性文化を映し出すものであり、その習慣のシンボリズムに私たちは注目したい。

ギルバート・ハート


シンボリズム、つまり、象徴的意義である。


儀礼の重視は、その社会における、宗教的な力と、セイム・ジェンダー関係との、深いつながりを示し、いずれも、社会的優位性、及び、宗教的、性的ヒエラルキーと関りがある。


男の体を求め、敬う理念としての同性愛を、一種の神聖な制度と見なす文化も存在する。


それに対して、異性愛は、俗なる次元にあり、穢れた世界に属すると、見なされる場合もある。


それは、直接的ではないが、日本の文化の中にも、多数、見られるものである。

例えば、男の世界と言う、言い方である。


相撲の土俵には、女は、厳禁である。

昔の茶道の、茶室には、女は入れなかった。

あるいは、女人禁制の場所は、多々ある。


特に、宗教施設では、今も、女人禁制が通るのである。


勿論、そこに、同性愛という要素は、無い。

しかし、直接的ではないが、女を穢れと見る、価値観もあったということだ。


精液の授受と、儀礼上の純潔さとの、強い結びつきが、儀礼的「清浄さ」の理念を生み出し、習慣を支えてきたと言う。


この、ホモエロティック関係は、周辺の地域社会の、男たちすべてに共通する習慣であり、次世代の再生産と、再生という象徴的命題を生み出し、すべて男の管理下にあるものだ。


その成長の過程で、必要なものとして、存在する、社会的習慣である。


そして、少年は、成人として、結婚し、子どもをもうけるのである。


ギルバート・ハートは、それを、

これらの性行動はすべて彼らの性的生活様式の一部分であり、より狭義の、西欧的な意味での、個人の選択や欲望と同一視すべきではない。

と、言う。


しかしながら、行為を行うことによって、快楽を得る事は、当然あるだろう。


性的能力と快楽は、明らかに、儀礼の一部分のなしているが、この二要素だけでは、ある信念の体系と習慣の、全体像を説明出来ないと、ギルバート・ハートは、言う。


ここで、疑問が湧くのは、精液提供者が、社会的に認められるということについて、である。


その多くは、少年の義兄弟が多く、時には、象徴的に、母親の兄弟と呼ばれることもある。


この義兄弟は、詳しく言えば、姉妹の夫などの、親戚関係である。


年長の男が与える精液、そして成長が、少年の姉妹と交換されることを、示し、生殖活動の源となる、女を一人失ったグループに対する、補償という図式が存在する。


ニューギニアのホモエロティック行為の手法は、オーラルセックスと、アナルセックスに限られているということだ。


だが、ある社会では、オーラルセックスか、アナルセックスのいずれかに限られるという。

ニューギニアの習慣については、謎のままであるとのこと。


面白いのは、

ニューギニア文化では、少年に精液を与える性の生活様式が、社会的アイデンティティと人間関係のネットワークを作り出していた。多岐にわたる欲望を持ち、幼年期から老年期に至るまで人生の全過程を通じて、その欲望を性関係によって表出する男性にとって、そのアイデンティティとネットワークはうまく機能していた。

そして、

男たちはこの生活様式のおかげで妻との排他的な関係を持ちながらも、結婚の前後を通じてセイム・ジェンダー関係を維持することができた。

ギルバート・ハート

と、いうことである。


これは、非常に面白いことである。

結婚という、あり方の違いである。


それぞれの人間が、複数の性的欲望の対象となるということだ。


彼らは、二種類以上の性的欲望、及び、性関係の実践の上に成り立っていた。


だが、時代である。

時代性が、それらを消滅させた。


最新の調査によると、少年の精液を与えるという儀礼は、大半が、消滅したのである。


だが、少数の男は、他の男との性交渉を行っている。

つまり、世界的な、セイム・ジェンダー関係に、入り込んだということ。


典型的な例は、16歳の少年の、アナルセックスである。

その中には、国外からの、白人の移住者も多数含まれていたという。


そこで、私が見聞した、カンボジアの例を上げる。

世界遺産のアルコールワットの街、シェリムアップに出掛けた際に、見た光景は、明らかに、白人たちによって、目覚めさせられた、ゲイ、ホモエロテックの関係である。


それは、貧しさゆえか、即、商売として成り立っていた。


つまり、ゲイボーイたちである。

それは、端的にお客に、体を売るものと、見た。


そして、マッサージ店の、少年のスペシャルという言葉にある、射精の導きによって、金を得るという感覚である。

それは、外国人によって、もたらされたものである。


勿論、伝統的に、カンボジア、その民族にも、セイム・ジェンダー関係の文化が存在しただろうが、現在の状況は、明らかに、作られたものである。


それを、時代性という。

時代性による、性文化の生成発展である。