神仏は妄想である558

ただ今、中国仏教、中でも、浄土教という、誇大妄想の思想を見ている。


その信仰は、大乗仏教運動から始まり、無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経などの、経典を生み、発展させた。


この、生み、という言葉は、誤りである。

作り上げたのである。

人間の、妄想力である。


更に、そのためには、インドの、龍樹と、世親がいる。


龍樹は、仏道修行には、難行道と、易行道の二つがあると、言う。

そして、一切の衆生を救うというのである。


この、一切の衆生とは、人類すべてを救うと言うことである。

そんなことが、出来るはずもない。


そこには、すべての人間には、仏性があるという、呆れた考え方があると言う。


それを、そのまま受け継いだのが、日本の人の好い、最澄である。

だが、法相宗では、それを否定する。


つまり、三蔵法師、玄奘で知られる、法相宗である。

玄奘は、明確に、仏になれない人がいると、看破した。


それを、無性という。

ただし、今は、その話は長くなるので、省略する。


龍樹の、易行道の話である。


ただ信仏の因縁を以て、浄土に生まれんと願えば、仏の願力に乗じてすなわち、かの清浄土に往生することを得て、他力に住持せられて即ち大乗正定のシュウに入る、との教えである。


そして、同じく、世親は、無量寿経の真義を顕彰しようとする、注釈「無量寿経優波提舎」を書いた。


この注釈は、中国では、「浄土論」と称され、曇鸞の「浄土往生生論」は、この本の注解書となる。



慧遠とは、異なった、純浄土教が、中国で、曇鸞、道綽、善導と大成した。そして、我が国に、入ることになる。


ここで、純浄土、という言葉が、おかしい。

何を持って、純、などと、つけるのか・・・


それは、何度も書いているが、大乗仏教によるものである。

僧院僧侶による、仏教学エリート意識に固まった、僧侶独占仏教を批判して、更に、打破し、仏陀本来の、社会救済の慈悲の活動の使命に復帰し徹するという、革新運動として起こったものである。


だが、仏陀本来というが、仏陀が何か、社会救済をしたのか、である。

ただ、自らの教えを伝えた、宣べたということだけである。


仏陀が、衆生のために、布施、供養をしたのかと言われれば、何もしない。逆に、托鉢をして、食べ物を衆生から頂き、我が身の救い、悟りのために、修行するという活動である。


仏陀は、社会的活動をせよ、などとは、言わないのである。


大乗の修行者たちは、実に、小さな親切、大きなお世話をしたという、だけのことであると、私は言う。


衆生は限りなからんも誓って救わんと願う

衆生無辺誓願度、と言う。また、それを唱える。


誰も、助けてくれとは、言っていないのである。

しかし、彼らは、勝手に、救われたいであろうと、救うという、願を立てる。本当に、迷惑なことである。


更には、菩薩は、自らすべての衆生の線まで降りて、衆生を救うのだという。呆れる。


菩薩というのも、自己申請であるから、手が付けられない。


その大乗の教えに寄り、日本では、迷惑千万な、新興宗教の花盛りである。

皆々、同じ事を、言う。

人を、救うと・・・


人は、人を救うことは、出来ないと、知らないのである。


仏陀は、人は、自らの行為によって、成る者になると、言った。

つまり、自業自得である。


更に、その自業自得を悟れと、言った。


誰も、人を助けられないのである。誰も、人を、救うことは出来ないのである。それが、仏陀の教えであった。


その点、浄土教は、大きなに罪を犯す。

つまり、一切衆生の、罪と過ちに苦しむ全凡人の救いを、強調するのである。


さて、要するに、廬山に籠って、「般若経」の空智を体得しようと努める、慧遠を指導者とする東林寺念仏結社は、更に、「般舟三昧経」に依る限り、純浄土教ではないとの、判断である。


それは、所詮、知識人意識を以て、自力の修道の阿弥陀念仏三昧であり、市井の大衆の苦悩の生活の中では、無力であるとの、見方に陥った。


日本の、法然、親鸞の浄土教信仰は、慧遠の死後、100年を経た、曇鸞、更に、半世紀を経た、隋、唐の、道綽、善導が、慧遠の江南に対して、華北に活動するまで、待たなければならなかったと言う。


ところが・・・

慧遠の浄土教は、生き続けるのである。

しかし、これ以上、それについては、触れない。


話は、曇鸞に行く。

その、曇鸞の有様を見て、次の、浄土教の展開を見る。

つまり、日本に伝わる、浄土思想の有様である。


そのためには、隋の天台宗祖、智顗を紹介する。

それは、日本の天台宗の始祖でもある。


天台智顗として、有名な僧侶だ。

勿論、大きな、幻想、妄想を打ち立てた人物である。


何せ、「法華経」を根本経典としたのである。

あの、東方基督教に影響された、ドラマチックな、お話し、おとぎ話の、法華経である。