神仏は妄想である562

曇鸞は、神仙の住む山、五台山の近くに生まれた、漢人である。


病気の間、自国に伝わり、あまねく信じられていた、神仙術、つまり、不老長寿の法が、思い出された。


そして、やっと癒えた彼の心に、まず、我が国の伝承されている、不老長寿の法を得て、その後、仏教の本業に身を捧げると、考えた。


彼は、その術を求めて、南北シナを通じて、師匠を探した。

遥か、江南に七十余歳の、陶隠居がいる。


陶隠居の名は、弘景という。

長い山居修道で、仙術を得ている大家として、有名だった。

さらに、仏教にも、理解がある。


すでに五十を越えた曇鸞は、北から南へ旅し続けて、陶隠居に師事を求めた。


さて、確かに、神仙の術を身に付けて、仙法の書も伝授されて、喜んで北に帰る道に、洛陽がある。


その洛陽は、仏教全盛の時期である。

北インドから、菩提流支、ぼだいるし、が翻訳教化の大道師として、尊敬の中心だった。


曇鸞は、その人を尋ね、伝授された神仙術の書を示しつつ、インドにも、このような長寿の方があるかと、言う。

すると、即座に、およそ、この世に、長寿の法などあるか、との言葉である。


長寿を得ても、やがては死ぬ。

そして、結局は、六道輪廻を続けて、生まれては死に、死んでは、生まれる。ただ、繰り返すだけである、と。


菩提流支は、「観無量寿経」を出し与えて、この大仙によって、生死を解脱して、永遠の不死を得ると、教示した。


羅什、僧肇の訳書を読み、龍樹の哲学に通じていた曇鸞は、老荘の無との哲学も、仏教の空智が優れていると、神仙の書を、ただちに焼き捨てて、浄土信仰に回心した。


この出会いが、日本浄土教に、師と仰がれる、浄土教、一筋の曇鸞の再出発となった。


だが、果たして、浄土教というものが、果たして、本当のものなのかは、解らない。

私は、曇鸞の、生き方を巡って書いている。


その洛陽の歴史を見ると、その年当たり、527年から30年頃は、洛陽が大混乱の形相である。

人民の大変事が、起きている。


その歴史は、省略する。


曇鸞は、その有様を見ていたはずである。

つまり、北魏と軍閥爾朱栄が軍を率いての、戦いである。


この人の世の、無残さに、驚愕したことだろう。

そして、浄土教に対する、信仰を深める、機会にもなった。


曇鸞は、浄土教に帰依して、郷里である、山西省に入り、魏皇帝の勅命で、井州大寺に住した。


しかし、やがて、この都市の大寺を去り、不便極まる、山西省の南部の山寺、石壁山玄中寺に移り、そこで、浄土教義の研究、著述、実践の根本道場を開いた。


その寺は、その後の、浄土宗の、道綽、善導の教化修道の古寺としても、有名になる。


曇鸞の浄土教は、浄土三部経を中心とした、龍樹系大乗の仏教である。


彼は、この穢土から、浄土に往生するという、龍樹の空観教義によって、「無生之生」として、断言する。


浄土は、阿弥陀の清浄本願の、無生之生、であり、われわれが、生死を繰り返している、迷いの世界で言う、「虚妄の生」ではないとする。


万象の性は、清浄であり、畢竟、無生である。


往生するというのは、往生する人の、情であるのみ。


上記の思想は、龍樹の教義であり、羅什門下の僧肇の思想を、継承している。


肇論の「宗本義」の一節を挙げる。


本無、実相、法性、縁会など説くのは、同じことを意味するに外ならない。何となれば一切の存在は、縁が集まり生じるのである。縁が集まって生じるならば、まだ生じない前には有ということはなく、縁が離れると滅んでしまう。

もし真の有であるなれば、その有には滅ということがない。

このように考えてゆくと、今現に有であっても、それは有でありながら、性としては常にそれ自体空であることがわかる。


本性として常にそれ自体空であるから、これを性空というのであり、性として空であるから法性という。

法性とは、空なる本体、である。


法性はあるがままの相であるから実相という。実相はそれ自体が無であって、しいて無たらしめたものではないのだから本無と名づけるのである。

相とは、如是ということである。


改行、説明は私


言葉遊びの、極みであろうと、私は言う。

こうして、龍樹系の、大乗仏教は、仏陀とは遠い、化け物の教えと、化した。


仏陀は、それほど、難しいことは、言葉にしなかった。

実に、単純明快だった。


ある意味では、寝ぼけた言葉の数々である。


ところが、大乗になると、とんでもない、飛躍と、インド人特有の、言葉遊びになる。


以前、龍樹について、簡単に触れたが、まだまだ、龍樹の哲学、いや、理屈には、広い世界がある。


何せ、私を論破出来ない。それは、私には、論がないから、だ。というような、言葉の使い方が、半端ではないのである。


その当時の、仏教、いや、インドの思想界の有様が、目に浮かぶのである。