日々の言い分402

知らないものは、無いものである。

だから、知らないうちが、花と言われる時期がある。


しかし、生きていれば、必ず、知る必要に迫られること、多々あり。


そして、知らぬが故に、暴言、寝ぼけた話をする人たちも、多くいる。


自分の情報が、唯一の、真実であると、信じている人たち。

そして、朧げなことを、言う。


私は、自分の意見を持つが、違う意見があることも、十分、承知している。だから、人の話を、黙って聞く。


話すより、聞く事の方が、多い。

ただし、若者に対しては、話すことが多くなることがある。

それは、親切からである。


しかし、若者は、迷惑であろう。


若者に、尋ねられたことだけを、答える人になりたいと思っている。

が、矢張り、馬鹿な私は、喋り過ぎる。


さて、知らないものは、無いのであるから、知らない人は、知らないことを、知らないのである。

これは、大変なことだ。


知らないのである。


子供は、死ぬことを知らない。だから、危険なことを、どんどんする。

だが、子どもだけではない。

大人も、知らないから、危険なことを、どんどんする。


誰も、止められない。

そして、それが、事件になる。


事件になった後で、何やら言っても、詮無いことだ。


知識から、智慧は、生まれないが・・・

知恵から、知識に、結びつくことは、多々ある。


知恵とは、謙虚な心である。


何事に関しても、対しても、謙虚なのである。

その、謙虚さは、どこから、生まれるのか・・・


それは、叩きのめされる事態になった時。

あるいは、生まれつきのもの。


謙虚な人は、生まれつき、善良な人として、生まれる。

ところが、謙虚になるために、叩きのめされる事態を引き起こす人がいる。


そして、それで、解ればいいが、解らないことも多い。


これほどの事態になっても、まだ、解らないという人もいる。

つまり、内省の出来ない人である。


人は、外省思考と、反省思考と、内省思考をする。


外省思考とは、何もかにも、外のものが、原因と考える。

つまり、すてべは、外のものが悪いとか・・・


怪我した原因は、何のせいだ、誰のせいだと、自分以外のものを原因とする、考え方である。

子供の思考である。


反省思考は、その通り、反省することである。


私も、相手も、間違いがあったなど、両者共に、同じ程度に考える。


普通の思考である。


それでは、内省思考とは・・・

原因を、我が身、我が心におく。

さらに、偶然と思えることに、内的必然と考えるという、深みを持つ。


大人、たいじん、の思考である。


この偶然を内的必然と考える思考は、生きる力を持つ。

人生力と私は言う。


何故、このような事態になったのか、事態が起こったのか、と考える。


だから、すべてを、人のせいにしない。

まず、私の感覚と、私の思考について、深く考える。


ここで、大切なことは、私という意識である。

私というものを、どこまで、信用しているのかが、解る。


時の政府、政治、はては、総理に、感情的な憤慨を起こす人を見ると、私は、即座に、それを思う。


とても、生きやすい思考法である。

人のせいに出来るから、である。


この問題は、政府、首相の政策による・・・

政治のあり方が悪い・・・


更には、親が、教師が、あれが悪いから・・・


外省思考の、華々しいやつである。


今、日本では、反日と、反日左翼系の人たちが、そのようである。

兎に角、国が、日本が、政府が悪いと言う。


そして、選挙は、破棄するとか・・・


権利も、義務も、何が何やら、解らなくなっている形相である。


終いに、国民が馬鹿だ、愚民だと言う者までいる。

それを言う、その当人が、愚民であることを、知らないのである。


政治家の質は、国民の質以上には、ならない。

つまり、良い政治家を求めるなら、私が、良い人間ではなければならない。


そして、この良いという、良い、とは、何かということになる。

そして、延々と哲学の始まりと、なる。


人間とは、哀れな者。