死ぬ義務45

苦痛は完全に除去できるか。医学はこれをめざすことが許されるか。これを実現することは事実上できないであろうと、われわれは考える。

宮川俊行


つまり、不調和というものを、完全に除去することはできない。


自然に干渉し、手を加えることは出来るが、それには限度がある。

自然の基本的秩序そのものを無視すること、それを覆すことをあえて行うとすると、それは、人間の自滅をもたらすものでもある。


行き過ぎによって、人類は、自己を滅ぼす危険がある。


そこで、完全な苦痛を除去することが、出来ない場合の、安楽死の判定である。


宮川氏の、案内で、進む。


その一つは、他に苦痛軽減、除去の方法が無く、最後の手段としての薬物療法、外科療法で、根本的鎮痛、苦痛除去を行う時、これにより、知性が喪失したり、無意識化したり、心理的人格が崩壊消滅する。


そして、結果的に、非人格的生命となる。


耐え難い苦痛の除去により、人間の現象界における、精神的生命の保持と両立しない場合がある。


その一つは、苦痛除去の手段として、死という選択しかない場合。


耐え難い苦痛により、自殺することも、多々あるのである。


これは何を意味するか。医学は合理的に苦痛の軽減、除去が可能であるかぎりにおいてそのための努力をつづけるべきであるが、他方、人には生物的また人格的生命を肯定するかぎり人生における身体的痛みに対し、場合によってはこれを受け入れ、耐える覚悟が必要だということである。人生には、どうしても避けられない苦しみがあるのである。

宮川


人には、苦痛に耐えられる、能力がある。

かなりの苦痛を、耐えることが出来ると、わたしは思う。


死を選ぶより、苦痛を選ぶ人もいる。


その際に、決定的なことは、苦痛に対する意味を見いだすかということだ。


私の尊敬する、思想家、亀井勝一郎は、ガンの手術の際に、麻酔を拒み、あえて、苦痛を選んだという。

そこには、その苦痛にある我が身のあり方を、見つめるという、行為の意味と意義があったと、考える。


人はに、意味、に対する、根源的な欲求がある。

つまり、意味の無いものには、耐えられないのである。


しかし、私は別エッセイにて、生きるに意味などない、を書きつけている。そちらも、参照のこと。


意味の無い苦痛を、絶えることは出来ないのか・・・


昔、私は、一晩、いや、二日に渡り、胃の痛みに耐えたことがある。

それが、二年続いた。

毎年の、二月になると、そのようになった。

結果的には、胃潰瘍だったが・・・


その際に、その眠られぬ程の痛みに、死をもって対処しようと思ったことはない。

まだ、生きると、思った。


苦痛の意味を考える間もないこともある。

その、苦痛が生きることと、直結していた。


だがそれが、延々と続くとすると、あるるいは、死ぬことを考えた可能性もある。


何せ、私が生きようが、生きまいが、世の中には、何の問題もないからである。


現在、益々と、私は、その思いを強くしている。


10年早く死のうが、そんなことは、どうでも、いいことだという、心境である。


だから、死ぬ時節には、死ぬことが出来るように、法整備を整えて欲しいと、考えている。また、それを政府に、提案したい。


参議院選で、安楽死の合法化を訴えていた、政党がある。

私も、大賛成である。


宮川氏は、延々と、苦痛に耐えることの、是非を書き続けているが・・・


それは、省略する。


ただ、宗教的に、苦痛に耐え得る人がいるということを、言う。

それは、宗教という、信仰の中での、行為である。

それに関しては、私は、コメントしない。


さて、耐え難い苦しみに関して、それを死に結びつけることを、私は、肯定する。


その理由は、霊的に、傷つくほどの、苦痛は必要ではないと、思うからである。

肉体の苦しみは、幽体をも、苦しめる。

そして、幽体の苦しみは、霊体にも、波及する。


肉体を離れた死後、幽体でも、また、霊体でも、苦しみ続けることには、賛成しない。


烈しい痛みでも、一定期間を経て、鎮静するものならば、耐えることが出来る。だが、合理的鎮静が可能でなければ、死を選ぶことも、必要と思う。


合理的鎮痛とは、永久無意識化、心理的人格の崩壊消滅である。


苦痛を取り除いて、植物状態になる場合である。


私は、それを良しとしない。


死を現象的人格段階における生命の死と解することもできるわけで、その場合「合理的鎮静不能」というのは「生物段階の生命の死をもたらすことなしに鎮静できぬ」と解せばよい。

宮川


何処に目安を置くのかは、当事者と、その家族、親族の判定によるものである。しかし、現在、果たして、医学的処置に関して、患者側が求めることが、医学の場で成されるかが問題である。


患者の求めに応じて、医療を終了した医師が、殺人罪に問われることもある。