日々の言い分453

万葉歌手、辻友子の、プロデューサーをしている。


最初の頃、万葉集を歌う、ということに、疑問を持つ人がいて・・・

と、いうより、万葉集を歌う、ということの、理解が得られなかった。


つまり、万葉の歌に、曲をつける、作曲して歌うということである。


そのリサイタルも、37回を過ぎて、漸く、理解され始めた。

38回目は、福岡公演である。


私自身、万葉集、源氏物語を読み続けて、いまも、もののあわれについて、というエッセイにて、源氏物語を書写して、続けている。


10年以上に渡る、物語との付き合いである。


日本の伝統とは、万葉集であり、それは、歌道のことである。

そして、源氏物語も、歌道の物語である。


歌詠みとは、日本人の伝統行為である。


さて、万葉集は、四千首以上の歌がある。

人生をかけて歌っても、足りない程だ。


古代日本人の、精神の発露を歌う。


その心には、言霊の思想がある。

言霊とは、言葉にすることは、実現するということである。


古代、言葉は、神であった。


コンサート活動の後に、思い付いたのは、万葉を語るということだ。

そこで、万葉歌語り、という、講座を始めた。


歌う、語る、と、二つの道で、万葉集に奉仕する。


残り少ない人生を、万葉集に懸けてもよいという心境である。


私の場合は、朗詠により、万葉を歌う。

それもまた、楽しい。


辻友子は、朗誦もする。

更に、オペラアリアのように、表現もする。


表現の様は、限りなく広がるのである。


そして、この人生で、万葉集と出会い、更に、万葉集を歌って、紹介出来るというも僥倖である。


実に、幸せなことである。


令和二年は、万葉、舒明天皇、御製から、1332年を迎える。

千年を経た、歌の数々。


世界最古、最大の、民衆詞華集である。


そこには、身分の差は、無い。

日本の歌道には、身分がない。

誰もが、参加できるのである。


歌の道こそ、ゆかしけれ・・・

という、歌の文句がある。


ゆかしい・・・床しい

それは、奥床しいのである。


ゆかしい、とは、控え目に心を、表現する。

更に、それが、奥につながる。

奥とは、心、魂の世界である。


言葉が、その関わりを、つなぐ世界である。

それが、歌道である。


日本を知る手掛かりは、それである。

歌道を知ることが、日本を知ることになる。


そこに、自己同一性を見る。

それが、日本人である。


伝統とは、そのことである。


言葉を介して、伝統を知る。


その場に、私が証人として居る。

仕掛け人となる。


教養とは、そういうものであろう。

万葉を、我が物にしてしまう、心。


多くの人に、万葉の言葉の、喜怒哀楽を届けたい。

必ずそこに、私がいる。


万葉集の中に、私がいるのである。