国を愛して何が悪い243

14世紀から15世紀にわたって、民衆のあいだから成長してきた申楽と田楽が、世阿弥やその子孫たちによって「能」として洗練されて行った過程と、法然、親鸞等の阿弥陀信仰が次第に民衆化されつつ、紛糾をかさねて蓮如にまで至った過程と、内乱時代の民衆流離という背景に即して言うなら、室町精神史の二大基調と言っていいのである。

亀井勝一郎 現代文は、私


更に、時代を同じくして、禅と禅芸術の展開というの、精神史上の、重要な事項がある。


この場合は、武家、公家、五山の禅僧たちが、中心となる。


さて、鎌倉時代の宗教改革は、室町期の宗教のあり方を否定していた。

そして、学問、教養を偏重する、知識階級の否定である。


とくに曹洞禅を伝えた道元がこの点では最も意識的であり、文学及び諸芸術の否定までをはっきりと宣言していることは、彼自身、詩文において抜群の才能を示しているだけに、注目すべきこととして私は述べておいた。

亀井


成程、道元は、その文才は、現代でも認める者が大半であろう。

見事な、文を残した。

しかし、それを文学否定の道元が為したという事実である。


つまり、信仰、宗教の文なのである。

勿論、私は、そのように受け入れない。

書いたものは、後の者によって、評価される。

それは、矢張り、文学である。


芸術だから、価値がある。

宗教になると、私は、妄想と判定する。


別エッセイ、神仏は妄想である、を参照のこと。


室町の禅林を評価する時、その基準を道元に置くとは、亀井が言うことである。


禅の哲学的解釈とか、その文学に甘える態度をまず峻拒しなければならない。これは常識と言っていいことなのだ。むろん道元個人だけの問題ではない。禅が日本に伝来した当初は、曹洞禅や臨済禅の区別なく、根本において一致していた重要な信条であった。

亀井


残念なことだが、私は、芸術の方に、重きを置く。故に、亀井の批判を取り上げつつも、芸術を優先する。

ただし、その堕落は、亀井と同じように、批判する。


戒律そのものは仏教伝来とともに存在したのは当然である。しかし推古朝から鎌倉時代まで六百年のあいだに、南都北嶺の転落をもふくめて、戒律はむざんな崩壊を示してきた。法然はこの事実を念頭におきながら、さらにつきつめて、人間として戒律の厳守など可能かという、仏教の根本をゆるがすような問題を提出した。

亀井


道元は南都北嶺の形式化した戒律に反逆するとともに、法然、親鸞の浄土信仰のもたらした「破戒」の傾向、その根源にある「煩悩具足の凡夫」という人間認識にもつよく反撥した。

亀井


亀井は、何度も繰り返し、信仰の深化についてを、説いている。

が、私は、それは時代性と時代精神のものとの、意識である。


現在、仏教は、如何にあるのかと言えば、戒律など論じる必要もない程、堕落している。

開祖、仏陀の教えも皆無である。


最初に日本が受け入れたのは、手の入れられた、大乗仏教だということもある。

つまり、妄想の産物である。


それに、翻弄された、鎌倉時代である。

しかし、精神史から見れば、それは、大変なことだったと、肯定する。


亀井は、室町の禅を、道元の目からを基準にすると、明確にして、批判を展開する。

私は、逆に、芸術によって、室町の禅は、救われたという。


物の見方の違いである。


要するに、宗教も、芸術も、堕落するのである。

そして、その堕落の有様が、どのようなものであるのか、後世の時代性が、決める。

確定することは、無い。