国を愛して何が悪い244

鎌倉、室町幕府によって、五山が成立し、当時は、むろん以後の日本文化に、大きな影響を与えた。

外来文化の摂取という点では、7世紀から9世紀に渡る、唐文化の、それに次ぐ重要な時期であると、言う。


宋から来朝した、建長寺開祖の、蘭渓道隆、大休正念、円覚寺開祖の、無学祖元、更に、日本からの、宋、元への留学も多い。


鎌倉から、室町にかけて、禅僧たちが、多く、その指導に当たった。


殺人と信仰という大矛盾に生きた武家たちに直面して、その矛盾を自己の内心の苦悩としつつ救済を念ずるのが僧家の義務ではないか。紛糾した現実のただなかに、「悟り」の境地は求められなければないない筈だ。その態度はたとい潔癖であっても、道元の辿った道は、却って安易ではなかったのかと言う見解が成立するわけである。

亀井


亀井は、兎に角、信仰の純化を求めている様子だ。


そして、そのために、聖徳太子の態度を取り上げて説明する。


私は、その方法を取らない。

時代性、時代精神であると、言う。


現代の、それを見れば、良く解るだろう。

宗教家が、どんな言動を持って、世の中、社会、世界に対して、接しているのかである。

無力である。


世界的宗教指導者たちは、単に、声明を発表するのみで、何の役にも立たないのである。


そして、その裏も、透けて見える。

対話と言っても、所詮は、信者獲得の手段である。


信仰とは、極めて個人的な、情緒である。

つまり、その個人の心、あるいは、精神の中には、入れないと、私は言う。


日本の憲法にも、信教の自由が謳われている。

それは、誰も犯すことが出来ないものだ。


人間に、喜怒哀楽があれば、当然、その昇華のために、精神的な何物かが、必要になると、思う。


人は、生きられるようにしか、生きられないのである。


私のスタンスは、イエス・キリストや仏陀、その他の教祖を信じるならば、それらの教祖と同じになることだと、言うのみ。


つまり、私が、仏陀の教えを信じるならば、私が仏陀に成ることなのである。

それ以外の、布教方法は、無い。

それ以外だと、単なる、強制である。


それは、相手に、私に成れと言う如くである。

私は、他人になれない、また、他人も私に成れない。

それが、私の基本である。


さて、室町期の話である。


足利政権が京都に幕府を創設して以来、とくに武家の乱暴狼藉は眼にあまるものがあった。「殺生」「乱淫」「飲酒」、そして享楽と浪費のかぎりをつくしたわけで、禅固有の峻厳な戒律からすれば、その一切はゆるされなかった筈だ。将軍が申楽や田楽に興じることなども、もつてのほかであったろう。

亀井


ところが、この問いに答えた、室町禅僧の苦衷を伝える、文献は皆無である。


果たして、当時の禅僧たちは、武家を信じていたのか・・・

その信仰において、信じるに足る者たちだったのか、である。


鎌倉の始祖たちとは、全く、別物である。

一体、当時の仏教、そして、室町期の禅僧とは、何だったのかという、疑問が湧く。


武家の信仰にとって、致命傷は言うまでもなく「殺生の罪」である。ただ一回ではなく、信じながらくりかえすところに「罪」の深さがある。くりかえされた内乱を通じて、このことは深く自覚されていたにちがいない。尊氏・直義も、義満も、そのことについて夢窓や義堂に問うたはずだし、少なくとも自責と懺悔の心はあったであろう。ただこうした点での入念な叙述が一般の史書はむろん、宗教史においてすら欠如しているのである。

亀井


いや、書かれたものがあるということは、書かれなかったものもある。

それは、後世の者が、見抜く術を持つはずだ。


何故、書かれなかったのか・・・

推測ではなく、洞察によって、それを見抜く事だ。


罪に慣れた時代と、私は言う。

武家とは、人殺しの集団である。

その、集団が政権を取り、権力を握る。一体、誰が、その権力者と戦うのか。


面白いのは、芸術の世界では、その権力者から、流刑に処せられた、世阿弥と、自害を命じられた、千利休が目立つ。


亀井は、武家興隆史とは、反面、厳しい宗教的観点からすれば、罪悪史を構成するというが・・・


禅僧たちは、また、僧侶たちは、手を引いたのである。

つまり、政治的なことから、手を引いた。そして、その武家たちの、罪深さを見ていて、見なかったのである。


それが、時代性であり、時代精神であった。


日本だけが、そうであったのではない。

西洋では、宗教戦争が長い間続いた。


大陸、中国なども、様々な宗教が起こったが、争い、人殺しは続いた。

隣の、朝鮮半島でも、そうである。


日本の戦乱の世は、幸せなことに、宗教による、戦争、戦いはなかった。

一時期、浄土真宗、門徒と、武家たちの、戦いがあったが、それは、政治に関与するなという、武家の警告だった。


室町期は、いち早く、その時代性を持っていたといえる。


亀井は、そのことに対して、非常に残念に思っているようだが、後世、それを鑑みることが出来るということが、歴史の目である。


禅という仏教の一派に、それほど、拘る必要はない。

ただ、いかれた宗派であると、考えれば、何のことはない。


禅宗とは、あたかも、何々の如くといった、単なる、見世物の宗派である。

それほどの、価値はない。