もののあわれについて976

匂宮「かごとがましげなるもわづらはしや。まことは、心安くてしばしはあらむと思ふ世を、思ひのほかにもあるかな」などは宣へど、また二つとなくて、さるべきものに思ひならひたるただ人の中こそ、かやうなる事のうらめしさなども、見る人苦しくはあれ。思へば、これはいと難し。つひにかかるべき御ことなり。宮たちと聞こゆるなかにも、筋ことに世人思ひきこえたれば、いくたりもいくたりもえ給はむことも、もどきあるまじければ、人も、この御方いとほしなども思ひたらぬべし。かばかりものものしくかしづきすえ給ひて、心ぐるしき方おろかならず思したるをぞ、さいはひおはしける、と聞こゆめる。みづからの心にも、あまりにならはし給うて、にはかにはしたなかるべきが、なげかしきなめり。かかる道を、いかなれば浅からず人の思ふらむ、と、昔物語などを見るにも、人の上にても、あやしく聞き思ひしは、げにおろかなるまじきわざなりけり、と、わが身になりてぞ、なにごとも思ひ知られ給ひける。





匂宮は、不平を言う様子は、煩い。本当は、気楽に、当分は暮らそうと思っていた。意外なことになったものだ。などと、おっしゃるが、本妻以外に妻がなくて、それが当然と思う普通の人の夫婦仲でこそ、このようなことが出来たとき、妻の嫉妬も、傍の人が同情するものだと考えると、宮様では、とても、難しい。

結局は、こうなるべきご身分なのだ。宮様方と申し上げる中でも、特別に、世間の人も思い上げているので、何人も、何人も、妻をお待ちになったところで、非難されるはずはない。誰も、この御方を、可哀そうとも思わないだろう。こんなに重々しく大事になって、気にする点が、一通りではないのを、幸福でいらっしゃると、世間では、噂をしているらしい。

ご自分のお気持ちでも、あまり大事にして下さり、急に具合が悪くなるのが、嫌なのであろう。こういう夫婦の間を、どういう訳で、大問題に扱うのだろうと、昔物語などを見ても、噂に聞く人の身の上でも、変だと聞いて思うが、話の通り、大変なことなのだと、自分の身になり、何事も、お分かりになるのだった。


中の宮の心境であり、現状への、諦めである。





宮は、常よりもあはれに、うちとけたるさまにもてなし給ひて、匂宮「むげに物参らざなるこそいとあしけれ」とて、よしある調ぜさせなどしつつ、そそのかし聞こえ給へど、いと遥かにのみ思したれば、「見ぐるしきわざかな」と嘆ききこえ給ふに、暮れぬれば、夕つ方寝殿へ渡り給ひぬ。風すずしく大方の空をかしき頃なるに、今めかしきにすすみ給へる御心なれば、いとどしく艶なるに、物おもはしき人の御心のうちは、よろづにしのび難きことのみぞ多かりける。ひぐらしの鳴く声に、山のかげのみ恋しくて、


中の宮

おほかたに 聞かましものを ひぐらしの 声うらめしき 秋の暮れかな






宮様は、いつもより、優しく、くつろいだ扱いをされて、全く何も、召しあがらないとは、実によくない。と、結構なお菓子をとり寄せて、その他、しかるべき人を呼び、特別に、お料理を整えさせて、お食事をお勧めになるが、手もお出しにならないので、見ていられない様子だと、ご心配しているうちに、日が暮れたので、夕方、寝床へお入りになった。

風が涼しく、空が趣ある時節で、派手なことを好む宮様なので、益々、気が進み、物思いに沈む方の御心の中は、何人につけても、耐え難いことばかりが多いのである。ひぐらしの鳴く声に、宇治の山の影ばかり恋しくて、


中の宮

あのまま、宇治にいたなら、ひぐらしの声も、普通に寂しく聞くだろう。今は、その声が、恨めしく思われる、秋の暮れです。





今宵はまだ更けぬに出で給ふなり。御さきの声の遠くなるままに、あまも釣するばかりになるも、われながら憎き心かなと思ふ思ふ、聞き臥し給へり。はじめより物思はせ給ひしありさまなどを思ひいづるも、うとましきまでおぼゆ。「このなやましき事も、いかならむとすらむ。いみじく命短き族なれば、かやうならむついでらもや、はかなくなりなむとすらむ」と思ふには、惜しからねど、悲しくもあり、またいと罪深くもあなるものを、など、まどろまれぬままに思ひ明かし給ふ。





今夜は、まだ更けぬうちに、お出かけになるようだ。

ご前駆の声が、遠くになるにつれて、海人が釣りするくらいになるのも、自分ながら、嫌なことだと思い思い、その声を、聴きながら、横になっていらっしゃる。初めから、辛い思いをさせたことなどを、思い出すのも、ぞっとするほどの気持ちである。

この辛い妊娠も、どのようになるのか。酷く、命の短い一家なのだから、このような折にでも、死んでしまうのではないか、と考えて、惜しい命ではないが、哀しい気もする。それに、妊娠中に死ぬのは、とても罪深いとの話だ。など、眠れないままに、一夜を煩悶して過ごす。