もののあわれについて978

君は入りて臥し給ひて、「はしたなげなるわざかな。ことごとしげなるさましたる親の出でいて、離れぬなからひなれど、これかれ、火あかくかかげてち、すすめきこゆる盃などを、いとめやすくもてなし給ふめりつるかな」と宮の御ありさまをめやすく思ひいで奉り給ふ。「げにわれにても、よしと思ふをんなご持たらましかば、この宮をおき奉りて、内にだにえ参らせざらまし」と思ふに、「誰も誰も、宮に奉らむと心ざし給へる女は、なほ源中納言にこそ、と、とりどりに言ひならふなるこそ、わがおぼえのくちをしくはあらぬなめりな。さるはいとあまり世づかず、ふるめきたるものを」など心おごりせらる。「内の御けしきあること、まことに思したたむに、かくのみもの憂くおぼえば、いかがすべからむ。おもただしきことにはありとも、いかがはあらむ。いかにぞ、故君にいとよく似給へらむ時に、うれしからむかし」と思ひ寄らるるは、さすがにもて離るまじき心なめりかし。





君、薫は、お部屋に入り、横になって、きまりの悪いことだ。仰々しい様子をした親が、出て来て坐り込み、縁遠くはない仲だが、傍の者が、灯火を明るく掲げて、お勧め申し上げる盃などを、格好よく扱っていらした。と、宮様のご様子を、格好がいいと思い出し申し上げる。

本当に自分であっても、もし、良いと思う娘を持っていたら、この宮様を置いて、宮中にでも、とても差し上げないだろう。と思うと、誰でも、宮様に差し上げようと、それは、自分の評判が悪いのではない。実のところ、あまり結婚には関心がなく、引っ込み思案なのだ。などと、心の中で、得意にならずにはいられない。

帝のご内意のあること、本当に、お考えになった場合は、このように億劫がってばかりいては、どうしたものだろう。名誉なことであっても、どんなものだろけう。亡くなった、あの人によく似ていらしたら、嬉しいことだろうと、ふと、考えてしまうのは、矢張り、気がないでもない、お心らしい。





例の寝覚がちなるつれづれなれば、あぜちの君とて、人よりは少し思ひまし給へるが局におはして、その夜は明かし給ひつ。明け過ぎたらむを、人のとがむべきにもあらぬに、苦しげに急ぎ起き給ふを、ただならず思ふべかめり。


あぜち

うち渡し 世に許しなき 関川を みなれそめけむ 名こそ惜しけれ


いとほしければ、


深からず うへは見ゆれど せき川の したのかよひは たゆるものかは


深しと宣はむにてだにたのもしげなきを、この上の浅さは、いとど心やましくおぼゆらむかし。妻戸おしあけて、薫「まことは、この空見給へ。いかでかこれを知らず顔にては明かさむとよ。えんなる人まねにてはあらで、いとど明かしがたくなり行く、よなよなの寝覚には、この世かの世までなむ思ひやられてあはれなる」など言ひ紛らはしてぞ出で給ふ。ことにをかしきことの数を尽くさねど、さまのなまめかしき見なしにやあらむ、情けなくなどは人に思はれ給はず。かりそめのたはぶれ言をも言ひそめ給へる人の、け近くて見奉らばや、とのみ思ひきこゆるにや、あながちに、世をそむき給へる宮の御方に、縁をたづねつつ参りてさぶらふも、あはれなること、程々につけつつ多かるべし。





いつものように、眠れずに、手持無沙汰なので、按察使の君という、他の人よりは、少し気に入っている女の局に行かれて、その夜は明かした。

夜が過ぎたのに、誰も咎めるはずがないのに、気になる様子で、急ぎ起きて、平気でいられないようだ。


あぜち

一体、世間から認められない逢瀬です。お会いしていることが評判になることは、辛いことです。


可愛そうなので、


表は深くないような見えるが、心の底に秘めた愛情は、どうして絶えることがあろうか。


深いと、おっしゃっても、頼りにならないものを、こうして表面の浅さまで言われては、一層、心を痛めることだろう。

妻戸を押し開けて、薫は、本当は、この空を御覧なさい。どうして、これを知らない顔で、明かすことがあろうか。風流人を真似するのではなく、益々、明かしにくくなる、この頃の夜ごとの寝覚めには、現世、来世までが思いやられて、しんみりする。などと、言い紛らわして、お出になる。

特に、嬉しい言葉の数々を言う訳ではないが、様子が優雅に見えて、情けのない人だとは、誰にも思われない。ほんの冗談ごとでも、言われた女が、お傍でお仕え申したいとばかり、思い申し上げるせいか、無理な考えで、世を捨てた、女三の宮の御殿に、縁故を求めては集い、参り、お仕えしているのも、同情されることが、それぞれの身分に応じて、多いことだろう。


自分の邸の、女房の局に通う際は、咎める人がいない。朝もゆっくりしてもいいが、薫が急ぎ起きるので、あぜちの君は、不満な様子である。


関川とは、逢坂の関にある。

「み」に「見」と「水」をかけ、「渡し」とともに、川の縁語である。